私は、卒業式のシーズンになると毎年思い出す、ある一人の教え子がいます。それは、私のかけがえのない思い出でもあります。
K君は学習成績の優秀な子でした。頭の良い子にありがちな、こましゃくれた部分もありましたが、勉強だけでなく、遊びにも一所懸命で、他の子どもたちからも信頼されていました。有名私立中学を受験するために、ほとんど毎日塾通いでしたが、学校の学習も決しておろそかにすることはなく、6年生の時には児童会長として役目をしっかりと果たしました。ただ、体は小さい方で運動が特別できる子ではなく、クラスで一番スポーツのできる子を、いつもうらやましがっていました。
6年生の秋、市内小学生陸上大会の練習が始まるとき、K君が私の所へ相談に来ました。
この陸上大会は、当時、市内にある近隣の4校の小学校がそれぞれ集まって6年生全員が参加するもので、7種目とも6位までが入賞と決められていました。そのときK君は、
「先生、おれ、入賞したい。どの種目にしたらいいか教えてください。」
と言ってきたのです。正直、私はどの種目でもK君が入賞できるとは思えませんでしたが、各校の主力選手が出場することの少ない200m走を勧めました。K君は懸命に練習に取り組んでいましたが、入賞するためには2秒以上足りない記録しか出すことができませんでした。しかし、大会当日、かれは自己記録を2秒以上縮め、みごとに5位入賞を果たしたのです。彼の喜ぶ姿を見て、私も涙が出たことを覚えています。
そんなK君が名門中学を受験する前日の事でした。体育の時間の前に、私は同じ日に私立中学を受験する子たちとともに最後の気晴らしをさせてやろうと思い、
「今日の体育は君たちのしたいことをさせてあげる。なにがいいかな。」
とその子どもたちに聞いたのです。結局、K君の希望にみんなが賛成し、バスケットボールをしたのですが、このとき、K君は利き手である右手の親指を骨折してしまったのです。よかれと思ってしたことではあったにせよ、私の思慮不足でK君にとって大変な事態を招いてしまったのです。
K君は名門中学のテストを左手で記入するという大きなハンデを負いました。結果として不合格となり、結局、それ以前に受かっていた別の私立中学に進学することになりました。私はK君の両親に心から謝りました。K君の両親は
「息子のけがは、先生のせいではありません。あの中学に落ちたのも実力不足だったからです。」
と言ってくださいましたが、私は落ち込みました。
卒業式の後、K君が両親とともに私の所へ挨拶に来ました。そしてK君はこのように言ったのです。
「おれ、先生のクラスで本当によかった。先生でなけりゃできない経験をいっぱいできたし、本当に楽しい2年間だった。中学、高校でも頑張るから安心してください。」
私はこの言葉に救われ、そして教師という仕事の素晴らしさを実感しました。
K君はその後、現役で東京大学に受かり、大学院まで進みました。今は、ある有名な会社の研究所で働いています。私はあの卒業式の日から一度もK君に会っていません。しかし、あの日から二十年後の現在まで、毎年、K君からの年賀状が届きます。
K君は学習成績の優秀な子でした。頭の良い子にありがちな、こましゃくれた部分もありましたが、勉強だけでなく、遊びにも一所懸命で、他の子どもたちからも信頼されていました。有名私立中学を受験するために、ほとんど毎日塾通いでしたが、学校の学習も決しておろそかにすることはなく、6年生の時には児童会長として役目をしっかりと果たしました。ただ、体は小さい方で運動が特別できる子ではなく、クラスで一番スポーツのできる子を、いつもうらやましがっていました。
6年生の秋、市内小学生陸上大会の練習が始まるとき、K君が私の所へ相談に来ました。
この陸上大会は、当時、市内にある近隣の4校の小学校がそれぞれ集まって6年生全員が参加するもので、7種目とも6位までが入賞と決められていました。そのときK君は、
「先生、おれ、入賞したい。どの種目にしたらいいか教えてください。」
と言ってきたのです。正直、私はどの種目でもK君が入賞できるとは思えませんでしたが、各校の主力選手が出場することの少ない200m走を勧めました。K君は懸命に練習に取り組んでいましたが、入賞するためには2秒以上足りない記録しか出すことができませんでした。しかし、大会当日、かれは自己記録を2秒以上縮め、みごとに5位入賞を果たしたのです。彼の喜ぶ姿を見て、私も涙が出たことを覚えています。
そんなK君が名門中学を受験する前日の事でした。体育の時間の前に、私は同じ日に私立中学を受験する子たちとともに最後の気晴らしをさせてやろうと思い、
「今日の体育は君たちのしたいことをさせてあげる。なにがいいかな。」
とその子どもたちに聞いたのです。結局、K君の希望にみんなが賛成し、バスケットボールをしたのですが、このとき、K君は利き手である右手の親指を骨折してしまったのです。よかれと思ってしたことではあったにせよ、私の思慮不足でK君にとって大変な事態を招いてしまったのです。
K君は名門中学のテストを左手で記入するという大きなハンデを負いました。結果として不合格となり、結局、それ以前に受かっていた別の私立中学に進学することになりました。私はK君の両親に心から謝りました。K君の両親は
「息子のけがは、先生のせいではありません。あの中学に落ちたのも実力不足だったからです。」
と言ってくださいましたが、私は落ち込みました。
卒業式の後、K君が両親とともに私の所へ挨拶に来ました。そしてK君はこのように言ったのです。
「おれ、先生のクラスで本当によかった。先生でなけりゃできない経験をいっぱいできたし、本当に楽しい2年間だった。中学、高校でも頑張るから安心してください。」
私はこの言葉に救われ、そして教師という仕事の素晴らしさを実感しました。
K君はその後、現役で東京大学に受かり、大学院まで進みました。今は、ある有名な会社の研究所で働いています。私はあの卒業式の日から一度もK君に会っていません。しかし、あの日から二十年後の現在まで、毎年、K君からの年賀状が届きます。
高柳 新(たかやなぎ はじめ)
欧風カレー専門店『アルパッシェ』オーナー
四半世紀の小学校教師経験と小学生卓球チーム指導者として全国大会の出場経験。そして現在は、学校を外から見ることのできる立場を生かし、現場の先生方を応援したいですね。
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