2008.02.25
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学校と家庭 今一度原点に戻って考えよう。

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭 北川 誠

 ここのところ子どもの養育放棄や暴力などの児童虐待などが頻繁にニュースになる。
深刻な経済状況下で家族の病気や経済的破綻などの課題を抱える家庭も社会問題になっている。
今更いうまでもないことだと思うが、もう一度原点に返って家庭教育と学校教育の違いについて考えてみたいというのが今回のテーマである。

 極論すると学校は発生の歴史からしても、学習の場であることが何よりも優先されるべきであると考える。であるから勉強が「できる・できない」とか「分かる・分からない」ということが問題にされる。(べきであるとも思う。)

 しかし、家庭は違う。家庭は学校の延長ではなく、学校での学習を補強するところでもない。
当たり前のことだが「家庭」は生活の場であることが何よりの基本だと考える。
食事や家事、休養や睡眠…、というような、人間としての生活を行う場である家庭では 本来勉強が「できる・できない」というような問題とは関係なく、家族同士がお互いの存在を認め合い、信頼し合う場として存在しているものと考えるがどうであろうか?

 もし、家庭が、家族同士お互いに信頼し合えず、自分自身を自由に表せない場だとしたら学校からも家庭からも遠ざかってしまう子どもが増えてしまうことは当然だと思うのだが。

 ごくまれにであるが保護者の中には、子どもを学校と似たような状況に追いやることが勉強のできる子を育てることであると勘違いする方がいる。 
私は、家庭では、子どものものの考え方や生活習慣を育てることが、まず何よりも優先されるべきだと考える。

 「教育の原点は家庭教育にある」言い古された言葉だが今一度考えて見たいのだがどうであろうか。

 ※写真は旅行先の草津温泉で見た看板です。いい言葉ですね。
P1000001.JPG

北川 誠(きたがわ まこと)

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭
「駄洒落」を立派な日本の文化・言葉の見立てと考え、子どもたちからは「先生 寒~い」と言われてもめげず連発してます。モットーは「花には水を人にはユーモアを」。

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