2008.01.28
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3間がない  遊びの大切さを考える。

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭 北川 誠

「3間がない」(さんまがない)
 いろいろな場面で、もう何度も引用された言葉だが、現在の子どもたちがおかれている状況を表わす言葉だ。
「3間」とは遊ぶための空間、時間、仲間がないことを指している。
 映画「三丁目の夕日」の時代を例に出すまでもなく、かってこの国の子どもたちは野原や 空き地で遊び、路地裏には暗くなるまで子どもたちの喚声が響きわたっていたものだ。

 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ
  (梁塵秘抄 巻第二 四句神歌)
 大意…… 遊ぶために生まれて来たのだろうか。戯れるために生まれて来たのだろうか。 遊んでいる子供の声を聴いていると、感動のために私の身体さえも動いてしまう。

 1973年から30年以上続いている民放ラジオの長寿番組で幅広い世代から熱狂的支持を獲得している「小沢昭一的こころ」の年末から年始に放送された「遊びせんとや生まれけむについて考える」の中で小沢翁は最近の子どもは本当に遊んでいなくて可哀想だと嘆いていた。

 もっとも、多くの大人は子どもにとって遊びは生活そのもので、遊びの中で子どもはいろいろなことを学んだり、覚えたりしていくことを経験上知っている。しかしまた多くの人がさきほどの物理的な理由や社会的な理由で「可哀想だと思うけど、遊べないのは周囲がみんなそうなので仕方がないのでは。」と思っているのではないだろうか。

 はたして、大人としてそのように正当化しても良いものだろうか。今後豊かな人間性を育てる上で、子どもたちに遊ぶ空間、時間、仲間を増やしていくことはとても大切であることはみんなが理解しているが、小沢翁は、もっと根本的な十分に遊びを知らない子どもたちが作る未来のこの国に憂いを感じているのではないかと深く考えた次第である。

 みなさんは「遊びせんとや生まれけむについて考える」という句はどう思いますか? 

 ※写真は本校の書き初め競書会の様子です。
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北川 誠(きたがわ まこと)

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭
「駄洒落」を立派な日本の文化・言葉の見立てと考え、子どもたちからは「先生 寒~い」と言われてもめげず連発してます。モットーは「花には水を人にはユーモアを」。

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