2008.01.15
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ひとつの教育論の危うさ

欧風カレー専門店『アルパッシェ』オーナー 高柳 新

今回も、私が経験した例から書きます。

 A君は小学校の高学年になって母が再婚し、新しい父親ができました。新しい父親は昔気質の性格で、A君を自分の子どもとして熱心に教育しようとしていました。その教育方針は『男の子は厳しく育てるべきだ』というもので、とくにA君が嘘をついた場合は厳しい体罰もしていたようです。
 A君は普段はひょうきんで、人を笑わせるのが得意な子でしたが、気の弱い部分があり、この父親を非常に恐れていました。担任の目からも、父親に萎縮しているのがはっきりわかりました。その結果として、怒られないために嘘をつき、その嘘を誤魔化すために新しい嘘を積み重ねることになり、まわりの子どもを巻き込むこともありました。A君にしてみれば、ただただ、父親に怒られるのが恐かったのだと思います。
 この父親と面談したとき、父親はA君は自分の前では素直であり、嘘をつくのは、まわりの子どもたちが悪いからだと言いました。とにかく、自分の教育方針に絶対の自信を持っていたのです。自分もそのように育てられ、それがすごくよかったからだそうです。しかし、私にはこのやり方がA君に合っているようにはどうしても思えませんでした。

 現在、テレビのワイドショーなどで、人気作家やタレントがコメンテーターとして登場し、各自の教育論を発言する番組が数多く見られるようになりました。なかには首を傾げたくなる意見もあるのですが、司会者はその意見を正しいものとして取り上げることが多いようです。世間に対する影響力も小さくはないでしょう。各自の教育論は、『それが自分によかったから』または『自分の子どもによかったから』という理由が多いようです。私はこれらの個々の教育論が、すべての子どもに通用するかのように報道されることに疑問を持ちます。

 私も若いときは『子どもは、こう育てるべき』という教育論を持っていました。しかし、多くの子どもたちと接するうちに、すべての子どもに通用するひとつの指導方法などないことを痛感しました。きちんとした教育方針は必要ですが、子どもごとに適正なアレンジをすることが重要なのではないでしょうか。
 大勢の子どもたちを同時に指導しなければならない担任にとって、それは大変な苦労を伴うことかもしれません。しかし、教育のプロフェッショナルとして、できる限りの努力をすることが教師の仕事だと思うのです。

高柳 新(たかやなぎ はじめ)

欧風カレー専門店『アルパッシェ』オーナー
四半世紀の小学校教師経験と小学生卓球チーム指導者として全国大会の出場経験。そして現在は、学校を外から見ることのできる立場を生かし、現場の先生方を応援したいですね。

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