2007.11.19
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教師の小言(2) KYなワタシ?

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭 北川 誠

「KY」という言葉が流行している。
 これは、「空気を読めよ」、「空気が読めない奴だな」の頭文字。周囲の状況にふさわしい言動ができない人への警告。もともとインターネットの掲示板のやりとりで使用されてきた表現だが、それがメールでも使われるようになり、実際の若者たちの会話にも登場するようになった。掲示板の表記では「空気嫁」という表現も見られる。(YAHOO辞書より)
  
 この言葉、最近は小学生の子どもたちの日常会話によく出てくるのである。

 私はどうもこの言葉が好きではない。
 
 「空気を読んだ」発言・行動というのは個人の経験や想像力から、その場に合った発言・行動ができるということであり、「読めない」というのはその逆のことをいうのであろう。これはつまり自分の考えが周りの人にもわかってて当然ということにもとれ、なんとも傲慢な一言であるようにも思える。

 しかも「空気を読めよ」と人に言うことは自分の考えていることは他人、周囲の人間にとっても共通の認識であるはず、というのははなはだ思い上がりであるのだとも考える。
 「常識」とは世間一般共通の認識である、ということなのだろうか?
 つまり空気を読めないということは君は常識外れだということを少しぼやかして言っているのだろうか?

 とはいえ、まして小学校での実生活ではくどいくらいに言葉という「形」にして常に意識して自分の考えていることを外部に発信していかなければ何も伝わっていかないと考える。それを空気を読めとは、なんという寂しい言葉であろうか。
 
 結局「このことは伝わってるはずと思うこと」と「きちんと伝わっていること」は決定的に違うということは当然だと思うのである。子どもの頃は空気を読む必要などないというのが私のこの文の趣旨である。

 ひょっとしてこの文章、KYなのかな?
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北川 誠(きたがわ まこと)

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭
「駄洒落」を立派な日本の文化・言葉の見立てと考え、子どもたちからは「先生 寒~い」と言われてもめげず連発してます。モットーは「花には水を人にはユーモアを」。

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