2007.11.07
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教師はいじめの問題について、どうかかわればよいのか。 ~教師の職責について考える~

宮崎県えびの市立加久藤中学校 教諭 山下 豪一

 10月下旬、通勤途中の朝のラジオで、俳優の武田鉄矢さんが、ある本のことを紹介されていました。日ごろ心に引っかかっている“いじめ“に関係したことなので、とても印象に残りました。残念ながら運転途中でしたので、書籍名、著者名は忘れてしまったのですが、著者は欧米の方だったと思います。

 日本の教育現場で、“いじめ問題”がなかなか解決しないのは、なんとか学校内で解決しようとするからである。欧米では、「いじめで起きた傷害→傷害」、「いじめで起きた恐喝→恐喝」、「いじめで起きた自殺→殺人」と「いじめ」は「いじめ」、「犯罪」は「犯罪」とはっきりと分けて対処する。被害者が出た時点で刑事事件であり、当然警察が動くべきで、学校から警察に引継いで処理されるべき問題である…。
といった趣旨だったと思います。

 この著者の考えを受けて、武田鉄矢さんは次のような意見を述べられました。

 いじめの当事者である児童・生徒について、学校側が報道機関に対してコメントするべきではなく、報道機関が、警察に対して事件に関する情報を要求するべきである。


 放送された著者の主張は、多分次のようなものだったと私は解釈しました。
 被害者が出た時点で、いじめは、刑事事件である。よって警察が処理し、加害者は処罰されるべきである。そのことによって、子供たちの中に、“いじめは刑事罰を受けるほど重大な問題”であることが認識される。日本は、教育現場でいじめを処理しようとし、実際その多くは表沙汰にせず処理されてきた。そのために、子供たちの中に、いじめが重大な反社会的なものであるという認識が生まれないのではないか。

 !…  なぜか、“ほっ”としました。
 正直なところ、私自身も最近の学校のあり方や、社会が学校へ求めるものが多くなってきていることに、負担を感じていたからです。躾や食育など、本来は家庭や地域が中心となって行われるべき教育が、学校へ移行しています。

 「先述の考え方によれば、いじめ問題に関する学校の負担は大幅に軽減する!」

 直感的にそのように感じたからだと思います。


 武田さんの放送は、心の琴線にふれたようで、数日間このことを考えていました。その中で、「殺人や重大な傷害事件は別として、いじめの問題をすべて警察に丸投げしてもよいものなのか?」という疑問にぶつかりました。
 特に私たちの教育の現場では、“教育的配慮”ということが重要視されています。その視点からすれば、加害者である児童・生徒にいきなり犯罪者の烙印を押すのではなく、更生させるのが教育者の職責であると思います。

 ところが、先生方の話題によく登ることですが、「教師の語ることが、多くの児童・生徒に響かない。」というものがあります。
「“うざい”とか、“消えろ”という言葉は、人を傷つける。いけない言葉だ。」と、懇々と説いても、翌日、ひどい場合には当日に、指導した児童・生徒が同じ言葉を使っている…。それが解決せずに、エスカレートしていく…。今はなくても、傷害・恐喝に発展する“いじめの問題”がいつ自分の学校で起こるのか…。少なからず、どの教師も持つ思いではないでしょうか。

 そう考えると、警察に…という思いを、心の中から消しきれません。


 皆さんは、教師の職責をどのようにお考えでしょうか。保護者の立場、同業の教師の立場…、さまざまな立場の方々のご意見を伺ってみたいのですが…。

山下 豪一(やました ひでかず)

宮崎県えびの市立加久藤中学校 教諭
山下豪一(ひでかず)と申します。鹿児島,熊本両県に接する宮崎県西部のえびの市で、社会科を担当しております。校務のIT化に興味を持つ教員です。

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