2007.12.12
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教育の罪は人の才能を埋もれさせること

横浜市立中田中学校 英語科 教諭 石山 等

 「教育」(education)というのは、本来「人間の持つ能力を引き出すこと」であると、大学の教職課程で習いましたね。もちろん、「知育」「徳育」「体育」を中心にして行われる実際の教育活動は、ときには強制的な色合いも帯びることがあるでしょう。でも、本来は学習者の内に秘められた可能性を引き出す手助けをする活動が「教育」だと、常に頭に置くことは非常に大切です。

 昨年の春に他界した私の父は、大正15年生まれでした。ちょうど元号が昭和に切り替わった年ですが、10月生まれの父は大正15年生まれということになります。貧しい農家に生まれた父の夢は、国鉄で働くことだったそうです。ところが、尋常高等小学校に通っていた頃の父は、夜ミカン箱を机代わりにして勉強していると、「鉛筆の音がうるさいから早く寝なさい」と祖父に叱られました。農家の仕事は朝が早いからです。様々な事情から農家の跡継ぎを任された父は、中学進学をあきらめて、畑仕事に精出すことになります。私が中学生の頃の父は、ときどき紙きれに図形を描いて、角の三等分とやらに挑戦していました。大変頭のいい人だったのです。教師になった私の目から見ると、父は芸術的な分野の才能に恵まれた人でした。庭いじりが大好きだった父は、サザエの壺を利用してきれいな「壺植え」を作ったこともあります。自己流の筆字も達筆でしたから、おそらく美術的な感覚に非常に長けていたのでしょう。

 私は、アイデアを凝らしながら一生懸命に物作りに挑戦している年老いた父を見る度に、胸が痛くなる思いでした。本格的な教育を受けることさえできていれば、もっと違った人生を生きることが許されたに違いありません。貧しい時代に生まれ、戦争に青春を奪われた世代に属した父。私の父のように、もてる才能を開花させることなく、人生の幕を閉じていった人々がどれほど多くいたことでしょう。実は、私の母も中学校を出てすぐに就職した人間です。貧しい漁師町に生まれ、学校に行かせてもらうことができなかったのです。少女時代には、海に潜ってサザエやアワビを採っては、お小遣い稼ぎをしていたと聞きました。教育のチャンスに恵まれなかった両親の元に生まれた私が、教師になったのは運命のなせる技だったのかも知れません。

 普通の人間は、死ぬまでに脳の3%から5%くらいしか使わないというのは有名な話です。つまり、人間の才能や能力は計り知れないということでしょう。運のいい人は、持てる宝を発掘するチャンスに恵まれ、大きな花を咲かせます。いいきっかけと出会うことがなかった人は、「自分は何をやってもだめだ」と自らを卑下しながら歩き続ける。そんな風に考えたとき、「教育」の持つ意義の大きさを感じざるを得ません。教室にいる子供たちの全てが宝の宝庫であると思うと、その発掘の手助けをする「教師」という職業は、非常に責任の重い、やり甲斐のある仕事であることに気づきます。

 私は、学がないがために自力で一生懸命生活していた両親を見ていて、よく思ったものです。「教育の罪は人の才能を埋もれさせることだ」と。ところが、現実の職員室では、「あの子は能力がないから」などという寂しい発言を耳にすることがよくあります。いけませんねえ、子供が無能に見えるのは、教師である自分に才能を見抜く眼力が不足しているからなのに。教職を去って英会話学校を始めた私のところには、もう60歳を超えた生徒さんたちもいらっしゃいます。本人たちは英語が全然ダメだったからと言うのですが、その学習意欲には目を見張るばかり。そして驚くほどの吸収力で英語の力をつけていくのです。きっかけさえあれば、人は年齢に関係なく才能を開花させる力を持っているのですね。

 写真:手入れを怠れば、紫陽花も美しく開花することはありません
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石山 等(いしやま ひとし)

横浜市立中田中学校 英語科 教諭
52歳。4年半のブランクを経て、教育界に復帰しました。最初に担任したのが3年生の素晴らしい子どもたちで、昔の元気一杯だった自分を思い出させてくれて、心から感謝しています。

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