10月は衣替えの季節ですね。
学期の終わりの忙しさと、新しく始まる新鮮さは、長期休みがあるからこその「実感」なのかもしれませんね。
1日に、ネクタイをして長袖のシャツを着て授業をしていると、「先生は、なんでそんな格好しているの?」と不思議そうに聞く生徒がいました。
朝一番の水の温度や通勤の自転車に乗って感じる風は「冷たい?」と、ふと感じるようになりました。これを秋を感じるというのでしょうか、私は、夏が終わるという感じがします。
暑さにまいっていたのですが、冬の寒さのことを思い出すと夏が終わるのがちょっと怖い感じがします。
10月1日から私の勤務校は後期がスタートしました。
徳島市内の小中学校は10月9日から後期が始まるようです。小中学校は市町村単位に決まるのでわかりやすいですが、高校は学校ごとに決まるので、ちょっと紛らわしいですね。
徳島県では2学期制はあまり評判がよくないのか、3学期制に戻す学校も出てきています。
「どちらが良いのでしょうか?」
というのは、愚問ですね。
学期が3から2へというのは、教育改革を進める一つの枠組みですから、旧来の枠組みが楽で「良い」のは当たり前ですね。新しいことを進めるときは、新しい枠組みを作っていくことが大切です。
「新しいお酒は新しい酒袋に入れなさい。」ですね。
2学期制にするなら、授業日数の云々として、問題を小さくとらえるのではなく、教育活動や学び方の質を問い直す一環として学期制を見直すことが必要だと感じています。ポイントは、夏休みを位置づけ直せるかだと思っています。
この夏休みを教育活動として、どのようにとらえ直すかが教育の質を変えていくためには必要なのだと感じています。
でも、「夏休みとはどうあるべきか」と、論議する場は、私の周りにはありませんね。
自分なりに教育改革との関わりを作っていこうと思いながら仕事をしているつもりなのですが、思うほど実感はつたわってこないですね。また、いつものように繰り返していたらそれで良い。ということになるのかな? と思ってしまいます。
「学校改革は、必要なのかな?」
毎日の仕事にまぎれていると、ふとそう思います。
社会は情報化社会になり、格差が拡大し、都市と地方の関係も変わり、参議院選挙・国会混乱、ミャンマーで日本人カメラマン射殺・・・いっぱい、いっぱい変っていっているのに、私は、「そうだ! いまこれだ。」と枠組みが変ったと感じることが少ない気がします。ふと実感! と思っても、直ぐに過ぎ去って忘れてしまっている感じです。
今まで、育ってきた(生きてきた)パタンが染み付いて、そのイメージが抜けません。
私が年を取ったということですね。
変革や改革は若い人の舞台と言うのも、こういうことかな? と、思ってしまいます。
改革も若さだけでは、危なっかしくて、本当は、経験に裏打ちされた若いエネルギーが改革を成し遂げるには必要なのです。
「新製品もしばらくは安定しない。」「新しいものも使い込んで馴染むもの。」などと言いますね。
これも、染み付いた古いパタンの感じ方なのかもしれません。
学期の終わりの忙しさと、新しく始まる新鮮さは、長期休みがあるからこその「実感」なのかもしれませんね。
1日に、ネクタイをして長袖のシャツを着て授業をしていると、「先生は、なんでそんな格好しているの?」と不思議そうに聞く生徒がいました。
朝一番の水の温度や通勤の自転車に乗って感じる風は「冷たい?」と、ふと感じるようになりました。これを秋を感じるというのでしょうか、私は、夏が終わるという感じがします。
暑さにまいっていたのですが、冬の寒さのことを思い出すと夏が終わるのがちょっと怖い感じがします。
10月1日から私の勤務校は後期がスタートしました。
徳島市内の小中学校は10月9日から後期が始まるようです。小中学校は市町村単位に決まるのでわかりやすいですが、高校は学校ごとに決まるので、ちょっと紛らわしいですね。
徳島県では2学期制はあまり評判がよくないのか、3学期制に戻す学校も出てきています。
「どちらが良いのでしょうか?」
というのは、愚問ですね。
学期が3から2へというのは、教育改革を進める一つの枠組みですから、旧来の枠組みが楽で「良い」のは当たり前ですね。新しいことを進めるときは、新しい枠組みを作っていくことが大切です。
「新しいお酒は新しい酒袋に入れなさい。」ですね。
2学期制にするなら、授業日数の云々として、問題を小さくとらえるのではなく、教育活動や学び方の質を問い直す一環として学期制を見直すことが必要だと感じています。ポイントは、夏休みを位置づけ直せるかだと思っています。
この夏休みを教育活動として、どのようにとらえ直すかが教育の質を変えていくためには必要なのだと感じています。
でも、「夏休みとはどうあるべきか」と、論議する場は、私の周りにはありませんね。
自分なりに教育改革との関わりを作っていこうと思いながら仕事をしているつもりなのですが、思うほど実感はつたわってこないですね。また、いつものように繰り返していたらそれで良い。ということになるのかな? と思ってしまいます。
「学校改革は、必要なのかな?」
毎日の仕事にまぎれていると、ふとそう思います。
社会は情報化社会になり、格差が拡大し、都市と地方の関係も変わり、参議院選挙・国会混乱、ミャンマーで日本人カメラマン射殺・・・いっぱい、いっぱい変っていっているのに、私は、「そうだ! いまこれだ。」と枠組みが変ったと感じることが少ない気がします。ふと実感! と思っても、直ぐに過ぎ去って忘れてしまっている感じです。
今まで、育ってきた(生きてきた)パタンが染み付いて、そのイメージが抜けません。
私が年を取ったということですね。
変革や改革は若い人の舞台と言うのも、こういうことかな? と、思ってしまいます。
改革も若さだけでは、危なっかしくて、本当は、経験に裏打ちされた若いエネルギーが改革を成し遂げるには必要なのです。
「新製品もしばらくは安定しない。」「新しいものも使い込んで馴染むもの。」などと言いますね。
これも、染み付いた古いパタンの感じ方なのかもしれません。




中原 正治(なかはら まさはる)
徳島県立新野高等学校 教諭
50代は、タイピングコンクールでシニアの部に振り分けられました。情報化社会に生きるのは若い世代も高年齢の世代も年齢に関係ないですね。情報と理科を担当しています。
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