私が公立中学校の英語教員を辞めてから、早くも3年が経ちました。すっかり英会話学校の講師が板についた私ですが、今でもソフトボールを通じて、昔の同僚とのつきあいが続いています。教員時代は、ごく当たり前のこととしてこなしていた部活動の顧問生活が、いかに大変なものであるか、昔の仲間の頑張りを目にする度に痛感させられるのです。
私が中学校教員に採用された当時は、部活動の顧問を引き受けることは「仕事のうち」と見なされていましたから、どの先生も一人何役もこなさなければなりませんでした。教科指導、学級経営、校務分掌、部活運営など、教員の仕事は多忙を極めます。一日3コマから5コマの授業をこなして5時には帰宅するというサラリーマン教員のイメージは現実とは全く異なります。実際、私が新採用で最初に覚えた仕事は、ガラス切りでした。私が赴任した最初の中学校は、海岸道路のすぐ脇にあり、校舎も木造でしたから、台風が来たりすると校舎のガラスが何枚も割れてしまいます。そんなとき「管理部」に所属していた私は、先輩からもらい受けたガラス切りを手に、技術科木工室に急行。ていねいにガラスを切って窓枠にはめると、軽く釘打ちをして周囲をパテで固定します。英語教育の研究に没頭する教員生活を夢見ていた私は、現実との食い違いに目を白黒させたものでした。
部活動というのは、それ自体で一つの職業のようなものです。私は男子軟式テニス部から始めて、男女バスケットボール部、男女剣道部、男女卓球部を経て、最後に女子ソフトボール部にたどり着くことになります。ウィンドミルという特殊な投球術の研究、選手の管理育成、用具の確保等々、監督としての仕事は山ほどありました。感覚的には、自分が担任するクラスとは別に、もう一つのクラスを任されたようなもの。「教師の本職は教科指導だ」と当たり前のことをよく言われましたが、現実には教育活動に順位付をすることはほとんど不可能です。放課後の仕事は部活動が全て終わってからになりますから、夜遅くまで職員室に残って教材研究や学級通信作りに精出したものです。活発な運動部の顧問は休日返上の生活が当たり前なので、土日の練習試合で疲れ切った重い体を引きずって、月曜日の教壇に立つのは非常に憂鬱でした。それでも、体調を崩して授業を空けたりすれば、「本末転倒」だと非難されてしまいますから、歯を食いしばって頑張ります。幸か不幸か、疲労を感じる神経も半ば麻痺したような状態だったような気がします。
退職して、今では英会話の指導に専念できるようになった私ですが、現役時代はこの上に更に部活動の顧問の生活が上乗せされていたのかと思うと、ぞっとしてしまいます。そして真夏の炎天下で一生懸命に部活指導をしている、近所の中学校の元同僚の真っ黒に日焼けした顔を見る度に、心の底から「ご苦労様」と言いたくなるのです。
学力低下の問題やいじめによる自殺の問題を初めとして、課題が山積する教育事情の中で学校の教師には厳しい目が向けられがちですが、指導力不足の先生たちにばかり注目しないで、ひたすら頑張っている多くの先生たちにも目を向けるべきでしょう。教育は社会の大人たち全てが力を合わせて行うべきもの。互いの姿に刺激されて前に進むことができれば、それが一番理想的な教育の姿なのではないでしょうか。
私が中学校教員に採用された当時は、部活動の顧問を引き受けることは「仕事のうち」と見なされていましたから、どの先生も一人何役もこなさなければなりませんでした。教科指導、学級経営、校務分掌、部活運営など、教員の仕事は多忙を極めます。一日3コマから5コマの授業をこなして5時には帰宅するというサラリーマン教員のイメージは現実とは全く異なります。実際、私が新採用で最初に覚えた仕事は、ガラス切りでした。私が赴任した最初の中学校は、海岸道路のすぐ脇にあり、校舎も木造でしたから、台風が来たりすると校舎のガラスが何枚も割れてしまいます。そんなとき「管理部」に所属していた私は、先輩からもらい受けたガラス切りを手に、技術科木工室に急行。ていねいにガラスを切って窓枠にはめると、軽く釘打ちをして周囲をパテで固定します。英語教育の研究に没頭する教員生活を夢見ていた私は、現実との食い違いに目を白黒させたものでした。
部活動というのは、それ自体で一つの職業のようなものです。私は男子軟式テニス部から始めて、男女バスケットボール部、男女剣道部、男女卓球部を経て、最後に女子ソフトボール部にたどり着くことになります。ウィンドミルという特殊な投球術の研究、選手の管理育成、用具の確保等々、監督としての仕事は山ほどありました。感覚的には、自分が担任するクラスとは別に、もう一つのクラスを任されたようなもの。「教師の本職は教科指導だ」と当たり前のことをよく言われましたが、現実には教育活動に順位付をすることはほとんど不可能です。放課後の仕事は部活動が全て終わってからになりますから、夜遅くまで職員室に残って教材研究や学級通信作りに精出したものです。活発な運動部の顧問は休日返上の生活が当たり前なので、土日の練習試合で疲れ切った重い体を引きずって、月曜日の教壇に立つのは非常に憂鬱でした。それでも、体調を崩して授業を空けたりすれば、「本末転倒」だと非難されてしまいますから、歯を食いしばって頑張ります。幸か不幸か、疲労を感じる神経も半ば麻痺したような状態だったような気がします。
退職して、今では英会話の指導に専念できるようになった私ですが、現役時代はこの上に更に部活動の顧問の生活が上乗せされていたのかと思うと、ぞっとしてしまいます。そして真夏の炎天下で一生懸命に部活指導をしている、近所の中学校の元同僚の真っ黒に日焼けした顔を見る度に、心の底から「ご苦労様」と言いたくなるのです。
学力低下の問題やいじめによる自殺の問題を初めとして、課題が山積する教育事情の中で学校の教師には厳しい目が向けられがちですが、指導力不足の先生たちにばかり注目しないで、ひたすら頑張っている多くの先生たちにも目を向けるべきでしょう。教育は社会の大人たち全てが力を合わせて行うべきもの。互いの姿に刺激されて前に進むことができれば、それが一番理想的な教育の姿なのではないでしょうか。
石山 等(いしやま ひとし)
横浜市立中田中学校 英語科 教諭
52歳。4年半のブランクを経て、教育界に復帰しました。最初に担任したのが3年生の素晴らしい子どもたちで、昔の元気一杯だった自分を思い出させてくれて、心から感謝しています。
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