夏休みも終わり、授業が始まりましたね。夏休み期間中に教材の準備はできたでしょうか?
準備できていると授業が待ち遠しいですね。色々な工夫を考えて、生徒のことを考えて、準備した内容が上手く機能するかどうか楽しみです。
同じ科目を何クラスか担当していると、はじめに実施するクラスと最後に実施するクラスで内容も生徒の反応も違ってくることがあります。後にしたほうが上手く行くというわけではなくて、最初のクラスが一番良い感じで授業できることもあります。
ここ数年、私の担当は、2単位の単独クラスがほとんどです。今年は、2単位の科目が8科目、と3単位の科目が1つの19単位が担当です。2単位は1週間に2時間授業をする科目ということです。この8科目が全部1クラスですから、授業の準備は大変です。
教員は同じ科目の授業を大体3年続けると、内容に関しての資料や教材もそ ろって余裕を持って授業を準備することが出来ます。教科科目の資料や内容は教科書会社が基本的なものを用意してくれていますから、その内容を担当している生徒の実態にどのように合わせていくかを工夫することが準備の中心課題になります。新任の頃に、「教科書は3年使ったら違うものに換えなさい」とアドバイスされたことを思い出します。
3年生選択科目「メディア・リテラシー」の授業は今年が開講して3年目です。この授業は学校設定科目なので、教科書も教材も自主制作になります。自主制作と言ってもその課題に適したものをどのように構成するのかを白紙から考えることは難しすぎます。「StudyGuideメディアリテラシー入門」(鈴木みどり編集、リベルタ出版)をテキストに決めてその内容を基本に実施して来ましたが、なかなかその内容を実施すること自体が難しいことです。
グループによるワークショップ型で対話を大切にする授業方法をとることが大切と書かれていることから、そのように実施しようとしても教師が体験していない方法で経験不足ですから、ついつい従来の授業方法に頼ろうとしてしまいがちです。
毎時間の授業素材の準備もなかなか出来ないということになりがちです。時間が足りないというだけでなくて、どうしても敷居が高くて取り掛かれない心の問題というのもあります。自分でしたことのないことや、実施したときどのような結果になるか経験がないことを準備する苦しさを体験しています。
わけのわからない授業を、ひたすら聞かされる生徒のような感じでしょうか。
少しでも自分の経験を膨らませるためと思って、今年は年休を取って、私は、8月末にメディア・リテラシーの研修会に参加してきました。この研修会はFCTメディア・リテラシー研究所が主催です。HPに会の内容が詳しく書かれているので、それを見てくださいね。
イギリスのメディア教育(メディアリテラシー教育)の第一人者であるバッキンガムの著書「メディア・リテラシー教育 学びと現代文化」(鈴木みどり監修、世界思想社)の「日本語版刊行に際して」に、「今日、メディアの影響は政治の公共性や経済問題から家庭や個人的な関係というプライバシーにまで及んでいます。今、子どもたちは複雑なマルチメディア環境の中で成年に達し、その結果、伝統的な社会化の影響は弱まっています。問題はもはや若い人たちをメディアから保護できるかどうかではなく、彼らがメディアを理解し扱えるようになるために、私たちはどうするかということなのです。」と書かれています。
メディアを学ぶということは、私たちを取り巻いているメディア(情報)が構成(Representation)されているということを知ることから始まります。メディアは中立で道具として技術習得さえ考えればよいというわけには行かないのです。
江ノ島で8月31日から9月2日まで、2日の夜のレセプションまで参加したくて帰りは夜行の高速バスで帰り、その朝から授業になりました。その月曜日がメディアリテラシーの授業の1回目でした。授業素材のビデオも何も用意されていない中で、夏休みの5大ニュースを考えるというテーマを準備しました。
この夏休み中の出来事ことから、自分で3大ニュースを考えて、その後で、グループごとに5大ニュースを話し合って、1番から5番まで順位を付けるという課題です。
他の班の5大ニュースと比べて、内容が同じか違うかを確認して、同じ内容でも順位はどうだったかを見ます。同じ内容でも順番が違ったり、取り上げた内容が違うのはどうしてなのか、班で考えて、発表します。
ニュースは現実に起こったことをすべて紹介するわけではありません。どれかを選び(どれかを捨てて)伝えられます。選ぶ基準がニュースバリュー(価値観)です。私が選んだ3大ニュースは、選ばれたのでしょうか?捨てられたのでしょうか?
ある班は、「みんなが選んでいたから」1番に選んだ。と、説明してくれました。なぜ選んだのかということは聞かなかった(話し合わなかった)ようです。
その違いに気づき、どうして?と、考えて対話を通して思いを伝え合うことが学びの中心になります。
2学期は、「テレビCMが提示する価値観」や「テレビドラマと私たちの世界」「ニュース報道を読み解く」をテーマに授業を進めます。また、ビデオ製作を最後の課題に考えています。
準備できていると授業が待ち遠しいですね。色々な工夫を考えて、生徒のことを考えて、準備した内容が上手く機能するかどうか楽しみです。
同じ科目を何クラスか担当していると、はじめに実施するクラスと最後に実施するクラスで内容も生徒の反応も違ってくることがあります。後にしたほうが上手く行くというわけではなくて、最初のクラスが一番良い感じで授業できることもあります。
ここ数年、私の担当は、2単位の単独クラスがほとんどです。今年は、2単位の科目が8科目、と3単位の科目が1つの19単位が担当です。2単位は1週間に2時間授業をする科目ということです。この8科目が全部1クラスですから、授業の準備は大変です。
教員は同じ科目の授業を大体3年続けると、内容に関しての資料や教材もそ ろって余裕を持って授業を準備することが出来ます。教科科目の資料や内容は教科書会社が基本的なものを用意してくれていますから、その内容を担当している生徒の実態にどのように合わせていくかを工夫することが準備の中心課題になります。新任の頃に、「教科書は3年使ったら違うものに換えなさい」とアドバイスされたことを思い出します。
3年生選択科目「メディア・リテラシー」の授業は今年が開講して3年目です。この授業は学校設定科目なので、教科書も教材も自主制作になります。自主制作と言ってもその課題に適したものをどのように構成するのかを白紙から考えることは難しすぎます。「StudyGuideメディアリテラシー入門」(鈴木みどり編集、リベルタ出版)をテキストに決めてその内容を基本に実施して来ましたが、なかなかその内容を実施すること自体が難しいことです。
グループによるワークショップ型で対話を大切にする授業方法をとることが大切と書かれていることから、そのように実施しようとしても教師が体験していない方法で経験不足ですから、ついつい従来の授業方法に頼ろうとしてしまいがちです。
毎時間の授業素材の準備もなかなか出来ないということになりがちです。時間が足りないというだけでなくて、どうしても敷居が高くて取り掛かれない心の問題というのもあります。自分でしたことのないことや、実施したときどのような結果になるか経験がないことを準備する苦しさを体験しています。
わけのわからない授業を、ひたすら聞かされる生徒のような感じでしょうか。
少しでも自分の経験を膨らませるためと思って、今年は年休を取って、私は、8月末にメディア・リテラシーの研修会に参加してきました。この研修会はFCTメディア・リテラシー研究所が主催です。HPに会の内容が詳しく書かれているので、それを見てくださいね。
イギリスのメディア教育(メディアリテラシー教育)の第一人者であるバッキンガムの著書「メディア・リテラシー教育 学びと現代文化」(鈴木みどり監修、世界思想社)の「日本語版刊行に際して」に、「今日、メディアの影響は政治の公共性や経済問題から家庭や個人的な関係というプライバシーにまで及んでいます。今、子どもたちは複雑なマルチメディア環境の中で成年に達し、その結果、伝統的な社会化の影響は弱まっています。問題はもはや若い人たちをメディアから保護できるかどうかではなく、彼らがメディアを理解し扱えるようになるために、私たちはどうするかということなのです。」と書かれています。
メディアを学ぶということは、私たちを取り巻いているメディア(情報)が構成(Representation)されているということを知ることから始まります。メディアは中立で道具として技術習得さえ考えればよいというわけには行かないのです。
江ノ島で8月31日から9月2日まで、2日の夜のレセプションまで参加したくて帰りは夜行の高速バスで帰り、その朝から授業になりました。その月曜日がメディアリテラシーの授業の1回目でした。授業素材のビデオも何も用意されていない中で、夏休みの5大ニュースを考えるというテーマを準備しました。
この夏休み中の出来事ことから、自分で3大ニュースを考えて、その後で、グループごとに5大ニュースを話し合って、1番から5番まで順位を付けるという課題です。
他の班の5大ニュースと比べて、内容が同じか違うかを確認して、同じ内容でも順位はどうだったかを見ます。同じ内容でも順番が違ったり、取り上げた内容が違うのはどうしてなのか、班で考えて、発表します。
ニュースは現実に起こったことをすべて紹介するわけではありません。どれかを選び(どれかを捨てて)伝えられます。選ぶ基準がニュースバリュー(価値観)です。私が選んだ3大ニュースは、選ばれたのでしょうか?捨てられたのでしょうか?
ある班は、「みんなが選んでいたから」1番に選んだ。と、説明してくれました。なぜ選んだのかということは聞かなかった(話し合わなかった)ようです。
その違いに気づき、どうして?と、考えて対話を通して思いを伝え合うことが学びの中心になります。
2学期は、「テレビCMが提示する価値観」や「テレビドラマと私たちの世界」「ニュース報道を読み解く」をテーマに授業を進めます。また、ビデオ製作を最後の課題に考えています。
中原 正治(なかはら まさはる)
徳島県立新野高等学校 教諭
50代は、タイピングコンクールでシニアの部に振り分けられました。情報化社会に生きるのは若い世代も高年齢の世代も年齢に関係ないですね。情報と理科を担当しています。
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