8月のお盆過ぎ,3泊4日の家族旅行で沖縄にいってきました。
ご存知のとおり,沖縄県は,日本の一都道府県でありながら,沖縄の風物は本土のものとは大きく異なります。気候,風景,方言(「うちなーグチ」)などいろいろありましたが,特に気になったのが食文化でした。
今回は,そのなかで,昆布,豚肉,さんぴん茶について書こうと思います。
今回の旅行は,旅費を削るために素泊まりプランのパック旅行を利用しました。食費も安く上げたいのと,おなじみのゴーヤーチャンプルーなどの沖縄の家庭料理を楽しみたいこともあって,ホテルのレストランを避け,地元の人が利用する食堂で食事を取りました。
メニューや,店先のディスプレーでよく目に留まったものの中に,“煮物”がありました。豚肉と,大根などの根菜類と,結んだ昆布が必ずセットになっていました。その他,クーブイリチー(昆布の炒め物)があったり,町の市場でも,きざんだ昆布が山盛りになって売られたりしていました。また,“ティビチ”という豚足の煮込みや,“ラフテー”という豚バラ肉の煮込み(豚の角煮)も,どの店に行っても定番メニューでした。
沖縄の食を代表する“沖縄そば”ですが,通常トッピングに豚バラ肉の煮込みがついていますし,豚の軟骨の煮込みののった“ソーキそば”や,豚足の煮込みの入った“ティビチそば”は食堂の定番人気メニューです。
暑い日が続きましたので,当然飲み物を買いにコンビニエンスストアーに立ち寄ります。そこでよく目にしたのが“さんぴん茶”。本土では,ウーロン茶や緑茶が主流ですが,沖縄ではお茶といえば“さんぴん茶”がメインのようです。
沖縄旅行を通じ,本土とは違う食文化を感じました。昆布を多用する琉球料理。その理由が,かつての琉球王国が,日本と中国の中継貿易をしていたことに関係していることは,知っていたものの,なぜこの貿易で,昆布が取り扱われたのか。豚肉を多用する食文化は,どこから来たのか。そもそも,“さんぴん茶”とは何なのか。
ちょうどいい機会なので,調べることにしました。
以下,わかったことを列挙します。
14世紀後半
1)琉球は中国と朝貢関係を作り“進貢(しんこう)貿易”を行う。
17世紀はじめ,
2)薩摩の侵略を受け支配下に入る。薩摩藩対清密貿易を始める。
3)西回り航路の開拓,北前船により昆布が日本国内に広まる。
18世紀,
4)蝦夷(北海道)の開発を行い,昆布生産の増加。
5)新井白石の正徳の治において,金銀流失防止のため,
対外貿易の支払を昆布など,俵物(海産物)で行わせる。
6)薩摩藩の財政逼迫。
7)富山の売薬は,薩摩藩に昆布を贈り,藩内の売薬権を手に入れる。
8)薩摩藩が,昆布,黒砂糖を使った対清密貿易を確立
→昆 布→→昆 布→→昆 布→→昆 布→
富山 大阪 薩摩 琉球 清
←黒砂糖←←黒砂糖←
←薬 種←←薬 種←←薬 種←←薬 種←
以上のことから,富山の売薬業のニーズ(薬種の入手)と,薩摩の琉球支配と密貿易の関係で,昆布が沖縄に流入したことがわかりました。この過程で,沖縄で取れない昆布が容易に入手できるようになり,貿易相手国中国の昆布の食べ方,昆布をだしとして利用するのではなく煮て食べることが定着したようです。
ちなみに,蝦夷-富山-大阪-薩摩-琉球-清を“昆布ロード”と言うそうです。薩摩藩は,昆布を取引する対清密貿易によって,財政再建と倒幕のための経財力の蓄積にも成功します。
豚肉を多く食べる文化も,1)の“進貢貿易”によって,中国の食文化が入ってきたためと考えられます。中国語で“肉”といえば,一般的に“豚肉”のことをさします。
さて,“さんぴん茶”についてですが,調べてみるとジャスミンティーのことでした。中国語で,香片茶と書き,発音を“しゃんぴんちゃ”とすることから,“さんぴん茶”といわれるようになったようです。こちらも中国の食文化の影響といえます。
今回いろいろ調べてみて,沖縄の文化は面白いと感じました。なぜ面白いと感じたのか――,
沖縄の昆布にかかわっていたのは,富山の売薬であり,薩摩の支配である。
地理で勉強した富山の薬産業が,歴史で学んだ薩摩の琉球支配と,黒砂糖の専売制。
――断片的であった,私の脳内の知識が,今回の調べごとで有機的につながったからではないか。知的発見の楽しさがあったからではないか,と思われます。
このことは,社会科を教えるときに大切なことだと思います。生徒が社会科を嫌う理由に“暗記することが多くつまらない”というものがあります。
「この社会事象に至る要因がわからない」から,つまらないのです。つまり「このことがあったから,こうなったのだ。」という,気付きの場を設けないといけないのでしょう。
では,実践しているか? というと,甚だ心もとない。優先しがちなのはなんと言っても授業の進度。教科書の内容をこなすことが中心で,それまで学んだことを有機的につなげる,補充深化の時間が充実されていません。
これからも勉強を続け,補充進化の時間の充実を目指そう。それが9月からの私の目標です。
ご存知のとおり,沖縄県は,日本の一都道府県でありながら,沖縄の風物は本土のものとは大きく異なります。気候,風景,方言(「うちなーグチ」)などいろいろありましたが,特に気になったのが食文化でした。
今回は,そのなかで,昆布,豚肉,さんぴん茶について書こうと思います。
今回の旅行は,旅費を削るために素泊まりプランのパック旅行を利用しました。食費も安く上げたいのと,おなじみのゴーヤーチャンプルーなどの沖縄の家庭料理を楽しみたいこともあって,ホテルのレストランを避け,地元の人が利用する食堂で食事を取りました。
メニューや,店先のディスプレーでよく目に留まったものの中に,“煮物”がありました。豚肉と,大根などの根菜類と,結んだ昆布が必ずセットになっていました。その他,クーブイリチー(昆布の炒め物)があったり,町の市場でも,きざんだ昆布が山盛りになって売られたりしていました。また,“ティビチ”という豚足の煮込みや,“ラフテー”という豚バラ肉の煮込み(豚の角煮)も,どの店に行っても定番メニューでした。
沖縄の食を代表する“沖縄そば”ですが,通常トッピングに豚バラ肉の煮込みがついていますし,豚の軟骨の煮込みののった“ソーキそば”や,豚足の煮込みの入った“ティビチそば”は食堂の定番人気メニューです。
暑い日が続きましたので,当然飲み物を買いにコンビニエンスストアーに立ち寄ります。そこでよく目にしたのが“さんぴん茶”。本土では,ウーロン茶や緑茶が主流ですが,沖縄ではお茶といえば“さんぴん茶”がメインのようです。
沖縄旅行を通じ,本土とは違う食文化を感じました。昆布を多用する琉球料理。その理由が,かつての琉球王国が,日本と中国の中継貿易をしていたことに関係していることは,知っていたものの,なぜこの貿易で,昆布が取り扱われたのか。豚肉を多用する食文化は,どこから来たのか。そもそも,“さんぴん茶”とは何なのか。
ちょうどいい機会なので,調べることにしました。
以下,わかったことを列挙します。
14世紀後半
1)琉球は中国と朝貢関係を作り“進貢(しんこう)貿易”を行う。
17世紀はじめ,
2)薩摩の侵略を受け支配下に入る。薩摩藩対清密貿易を始める。
3)西回り航路の開拓,北前船により昆布が日本国内に広まる。
18世紀,
4)蝦夷(北海道)の開発を行い,昆布生産の増加。
5)新井白石の正徳の治において,金銀流失防止のため,
対外貿易の支払を昆布など,俵物(海産物)で行わせる。
6)薩摩藩の財政逼迫。
7)富山の売薬は,薩摩藩に昆布を贈り,藩内の売薬権を手に入れる。
8)薩摩藩が,昆布,黒砂糖を使った対清密貿易を確立
→昆 布→→昆 布→→昆 布→→昆 布→
富山 大阪 薩摩 琉球 清
←黒砂糖←←黒砂糖←
←薬 種←←薬 種←←薬 種←←薬 種←
以上のことから,富山の売薬業のニーズ(薬種の入手)と,薩摩の琉球支配と密貿易の関係で,昆布が沖縄に流入したことがわかりました。この過程で,沖縄で取れない昆布が容易に入手できるようになり,貿易相手国中国の昆布の食べ方,昆布をだしとして利用するのではなく煮て食べることが定着したようです。
ちなみに,蝦夷-富山-大阪-薩摩-琉球-清を“昆布ロード”と言うそうです。薩摩藩は,昆布を取引する対清密貿易によって,財政再建と倒幕のための経財力の蓄積にも成功します。
豚肉を多く食べる文化も,1)の“進貢貿易”によって,中国の食文化が入ってきたためと考えられます。中国語で“肉”といえば,一般的に“豚肉”のことをさします。
さて,“さんぴん茶”についてですが,調べてみるとジャスミンティーのことでした。中国語で,香片茶と書き,発音を“しゃんぴんちゃ”とすることから,“さんぴん茶”といわれるようになったようです。こちらも中国の食文化の影響といえます。
今回いろいろ調べてみて,沖縄の文化は面白いと感じました。なぜ面白いと感じたのか――,
沖縄の昆布にかかわっていたのは,富山の売薬であり,薩摩の支配である。
地理で勉強した富山の薬産業が,歴史で学んだ薩摩の琉球支配と,黒砂糖の専売制。
――断片的であった,私の脳内の知識が,今回の調べごとで有機的につながったからではないか。知的発見の楽しさがあったからではないか,と思われます。
このことは,社会科を教えるときに大切なことだと思います。生徒が社会科を嫌う理由に“暗記することが多くつまらない”というものがあります。
「この社会事象に至る要因がわからない」から,つまらないのです。つまり「このことがあったから,こうなったのだ。」という,気付きの場を設けないといけないのでしょう。
では,実践しているか? というと,甚だ心もとない。優先しがちなのはなんと言っても授業の進度。教科書の内容をこなすことが中心で,それまで学んだことを有機的につなげる,補充深化の時間が充実されていません。
これからも勉強を続け,補充進化の時間の充実を目指そう。それが9月からの私の目標です。




山下 豪一(やました ひでかず)
宮崎県えびの市立加久藤中学校 教諭
山下豪一(ひでかず)と申します。鹿児島,熊本両県に接する宮崎県西部のえびの市で、社会科を担当しております。校務のIT化に興味を持つ教員です。
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