2007.06.04
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教師の心配  スピリチュアルブームに思う。

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭 北川 誠

 世はスピリチュアルブームである。かつては怪しく胡散臭いと思われていた「死後の世界」「守護霊」「前世」「魂」の話題が、休み時間や給食の時間に教室でも子どもたちの口から軽く明るく普通に語られるようになった。ゴールデンタイムに放映されるそれらの番組は涙を絡めた感動的な構成で、私のように「あれはバラエティ番組さ」とまるで信じていない人間は心がねじ曲がっているかの如く後ろめたさを感じずにはいられない。ブームにケチをつけるつもりはないのだが…。

 実は本校で研修の一環として昨年度、「人は死んでも生き返るか」という質問を全児童対象に行った。 驚いたことにどの学年の児童も20%から中には50%近くの割合で人は死んでも 生き返ると信じているという結果が出た。また内容を細かく分析してみると高学年の子どもたちでは成績が上位の子の方がその傾向が強いのである。中には真顔で「人は殺されても天国から7日間だけやってくるんだよ」と自信を持って答えた6年生女子もいた。
 
 これは、ある意味生命の軽視ではないだろうか。社会問題になっているこどものいじめがたびたび自殺まで行ってしまうのは、いじめる側もいじめられる側も「死」への重みを軽く考えてしまう傾向があるのではないか。テレビで「死」の恐怖をとりあげれば取り上げるほど、現実感がなくなり、返って「死」が近くなり、こうすればすぐに楽に成れるのかと思うのではないか。

 もっと問題なのは「死」が軽いということは、「生」に対しても執着心がなくなってしまうことである。「死にたくない」とか「長生きしたい」とか言うのは、死んでも生き返ると信じている彼らにとってひどく無様に映るに違いない。それだったら、ゲームでリセットする感覚で死んでやり直したほうがいいと考えるのであろう。

 一見すると、昨今のスピリチュアブームとは関係ないもののような気がするが、私には「人は死んでも生き返る」という点では共通な根っこのように見えるのである。子どもたちの人生の輝きが失われつつある、そんな恐怖がひたひたと近づいている感じを持っているのは私だけであろうか。
   (写真は本校の修学旅行の一コマで、本文の内容とは関係ありません。)
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北川 誠(きたがわ まこと)

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭
「駄洒落」を立派な日本の文化・言葉の見立てと考え、子どもたちからは「先生 寒~い」と言われてもめげず連発してます。モットーは「花には水を人にはユーモアを」。

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