2007.04.23
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教師の憂鬱 誰が鈴をつけるのか?

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭 北川 誠

 最初に断っておきたいのだが、当然職務上知り得たことなので個々の具体的な事例を述べることは差し控えるが、昨今学校で「この子の親をなんとかしないといけない」と思う事例が急増していると思っているのは私だけだろうか。
 大きな話題になっている給食費の未納問題もそうだが、親が自己中心的なため事実上子育てを放棄しようとしたり、親の生活がいろいろな理由で破綻していて子どもに悪影響を与えたり、親の気分次第で子どもを拘束したり溺愛したり虐待したりというケースがあった。(ぼんやりとした書き方になるのは冒頭のような理由なので察してください。)
 
 この場合子どもに罪はないのだが、そのような状況が続くと、今はそうでなくても今後子どもの性格や成長さらに今後の行動にも影響が出てくることは必至である。
 私たちはたくさんの保護者と日々接している。中には問題がある人もいるであろう。学級の中には何人かの子どもは行動面で指導改善が必要な子もいる。 しかし、昔話になって恐縮だが、私が教員になった25年位前(笑)は、今ほど親に問題があるということは少なかった気がする。 地域性などの条件の違いもあるだろうが、私が思うに生活面等でどんなに問題がある親でも、我が子にだけはちゃんとしたいという親の基本的な実は一番大事な愛情が現在より多くあったと感じる。

 ところが、ご存じの通り現在の学校での状況は、子どもに対する愛情が希薄だったり、自分では愛情だと思っていても自己中心な間違った愛情だったりというケースが多く、子どもの健全な成長なためには、親の意識や生き方をなんとかしなければいけないことがその子の一番の問題となっているケースが多い。

 しかし現実には、それがいちばん難しい。それは教師にとって子どもが相手なら、厳しく叱ったり、諭したりすることもできる。(今はそれも難しいかな?)しかし、相手がいくら親として失格なような人間であっても大人となれば、当然頭ごなしに叱りつけることもできない。ましてこのような場合、一般の人よりも常識が通じないような人が相手のことが多い。 
 かといって、「今年の親はハズレだな」とあきらめてはいけない。そのままでは子どもがどんどん悪い方向に向かってしまう。場合によっては親をガツンと叱ったり、「あなたの生き方はこのままではいけませんよ」と諭したりすることが必要であると思うのだがいかがであろうか。

 ただ問題なのは、イソップの寓話ではないが誰が鈴をつけるか(誰がそれを話せば効果的か)ということである。
はたして、子どもの担任や校長がその役をやった場合、その後の親との信頼関係がうまく築けるであろうか?それとも福祉事務所等第3者にそれをお願いするのがベストなのか。もちろんケースバイケースであろうが大変難しいし覚悟が必要であることは間違いない。 このコラムをお読みの方で良い事例(成功した事例)やうまくいかなかった事例(失敗した事例)をお持ちの方はご意見をください。
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北川 誠(きたがわ まこと)

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭
「駄洒落」を立派な日本の文化・言葉の見立てと考え、子どもたちからは「先生 寒~い」と言われてもめげず連発してます。モットーは「花には水を人にはユーモアを」。

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