2016.06.22
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新任あるある Vol.5「心を開く 番外編」

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 真夏のような暑い日があったかと思うと、鬱陶しい雨の日があり、体調管理に苦労する時季ですね。数年前までは普通教室にエアコンが入っている率が低く、私は授業の合間にうちわを使っていました。それでも、通知表の仕事やノートの点検などをするときには手汗が紙ににじむこともあり、とても気を遣ったのを覚えています。今は、扇風機もエアコンもある教室で、こんな季節でも集中して学習することができます。恵まれた時代になったものだと思います。

 ところで、これまで2回に渡り「心を開く」について書いてきましたが、もう少し書き足したいことが出てきましたので、今回もそれに関連して書いていこうと思います。

 前回まで、心を開こうとする相手には話しやすいという特長があり、それによって信頼関係を築きやすくなるメリットが生まれることをお話ししました。教師にとって、子どもや保護者との信頼関係を作り、それを維持していくことは、仕事を続けていく上で最も重要なことだといえます。表情や仕草、言葉遣いだけではなく、外見や服装をTPOに応じたものにしていくことによって自ら心を開いていることを伝えることを、心がけていきたいものです。

 余談ですが、先日、中学校の運動会があるというので訪ねてきました。昨年受け持った子どもたちに会いたいと思ったからです。競技中だったので話はできなかったものの、私の姿に気がついてくれた子どもたちに手を振ることができました。そして、応援に来ていた数人の保護者と話をすることもできました。その中で、「子どもたちが、伸び伸びと楽しい時間を過ごすことができたことに感謝している」とおっしゃってくださる保護者がいました。7ヵ月という短い期間であったけれども、私にとってキラキラと輝く人生の思い出になったなと思いました。そして、私と子どもたちとの間にできた関係の質を、もっと分析してみようと思いました。その成果は、追々お伝えしていく予定です。

 

 さて、子どもたちに再会できて、このように教師という仕事を通して「心を開く」ことのメリットを考えるのは楽しいと思っていた矢先、私は世間知らずだなと気付かされることがありました。教育とは無関係の本を読んでいたところ、「心を開くことは、生活の質だけではなく、生活の量にも関係している」という文章が目にとまったのです。生活の量というのは、長生きの意味だそうです。いつも教師目線で物事を考えがちなのですが、「学習効果を上げる」といった限定的なメリットだけではなく、「心を開くことは、生きていく上で必要なことなのだ」ということに改めて気付かされました。

 私たちは自身の心を開くことができれば、たとえば初めて来た客人のために玄関を開けて招き入れ、茶菓でもてなし、楽しい会話をして過ごせるような幸せな気分を味わうことができるようになります。相手がそのもてなしを心地よく思うことができれば、お返しをしたいと思うでしょう。そうやって互いをもてなし合えば、そこには暖かな気持ちのやりとりが生じます。

 このように自分自身の身体を家のように例えれば、私たちは関係を築くことによって、あちこちの家に水道管のような管を巡らせることができるのです。それは、地上からは見えにくいものですから、ある人の家はたくさんの管と繋がっているかもしれませんし、またある人の家はほとんど繋がっていないかもしれません。

 もし、たくさんの管と繋がっているとすれば、それを通して常にやりとりが行われています。挨拶といった言葉のやりとりのみならず、必要なときには協力したり助けたりということがあるでしょうし、楽しい体験も共有できるのです。そこには充実した人生が繰り広げられていくことと思います。

 しかし一方で、繋がりが少ない人であれば、言葉を交わす相手も限られてしまいますし、助けてもらう可能性も低くなってしまいます。人は人とかかわってこそ幸せを感じるのではないでしょうか。寂しい思いが募れば、気持ちを安定させることが難しくなってしまいますし、そのイライラが暴力的な行為やゲームやアルコールなどの依存へと駆り立てるのではないかと思います。

 私たち教師は、自分自身の人生を豊かにするためにも、心を開くべきなのです。そして、その手本を見て子どもたちも心を開くことの大切さに気付いていくのだと思います。「心を開くと友達もたくさんできて、楽しい有意義な人生を送ることができるんだよ」と言葉で説明しなくても、子どもたちは教師の生き様を見抜くことができるでしょう。子どもの感性は、大人よりも優れているからです。

 

 さて、最後に、相手に心を開いてもらうポイントをお伝えしたいと思います。それは、人として相手と対等になることです。相手が対等であると感じるように仕向けることです。

 私は10年くらい前に、とても抑うつ的な気持ちで暮らしていた時期がありました。友達には愚痴をこぼすことしかできず、助けてもらってばかりいました。家族に対しても何もできないもどかしさがありました。

 このような経験のない方は、助けてもらうことに不満をもつのはおかしいと思われるかもしれません。しかし、私はとても苦しかったのです。周囲の人がすべて私を「助けてくれる人」で、私は「助けられている人」という関係は、ますます心を閉ざす原因になったのだと思います。自分も相手の役に立てる、小さなことであっても自分にはよさがあると気付くまで、長い間悶々とした時間を過ごしました。

 対等というのは、自信がなければできない関係です。子どもたちが学校生活において対等な関係を築き、心を開き、豊かな人生を送るための土台を作っていくようにさせなければならないと理解できれば、私たち教師のやるべき仕事が見えてくるのではないでしょうか。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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