2016.03.28
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

よりよい授業を創るために「学校の役割を見直して」

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

  今年度の教育活動が終わりました。本校では25日に卒業式が行われ、2学期から担任した子どもたちとも涙の別れをしました。東日本大震災から5年、今日は同じ年に亡くなった母の命日です。天国の母に、一年間見守ってくれてありがとうと伝えたいと思います。

 ところで、私は年度途中から6年生を受け持ってみて、改めて「教師の仕事は素晴らしいな」と感じました。そして、「学校という場を考えた人はすごいな」とも思いました。同じ年齢の子どもたちが集って学ぶことは、人生の土台を作る上で欠かせない活動だと実感したからです。

 クラスには様々な個性の子どもたちが集まってきます。自分の気に入ったタイプの子どもだけというわけにはいきません。その意味では、学校は学力を培う場所であると共に、人との関係を築くためのスキルを学ぶ場として大きな役割を果たしています。そして、未来に向かってどのように生きていくのかを、考える場でもあります。

 実は最近、知人の子どもが不登校になり、親子で辛い時間を過ごすことになってしまいました。もちろん、すべてが学校の責任とは言えないと思います。なぜなら、親子関係が十分に築かれていないことを、知人もよくわかっていたからです。しかし、私はこの事案から、学校の果たす役割をもう一度見つめ直す必要があると痛感しました。今回は、この件を通して考えたことを、書いてみたいと思います。

 

 さて、数年前に文科省は、通常学級における発達障害のある子どもたちへの支援が喫緊の課題であるとして、その対策に力を尽くしてきました。それを受けて現場でも、繰り返し研修と情報交換を行い、よりよい対応ができるように模索を続けてきました。まだ道半ばであることは否めませんが、昨今では若手の教員であっても、発達の偏りを敏感にキャッチして対応する力がついてきているように感じます。

 ところが、一見何の問題も抱えていないだろうと思われる子どもたちの中にも課題はあります。例えば、上述した知人の子どものように、ある程度勉強もできて、友達とも楽しく遊んでいる子どもも、何らかの課題を抱えているのです。完璧な人間がいないように、完璧な子どももいません。ですから、私はすべての子どもたちに対して、もっと手を尽くしていかねばならないと思うのです。

 

 以前、テストではいつも高得点を取り、絵を描かせても習字を書かせても抜群に上手で、運動も得意という子どもに出会ったことがありました。ただ、表情に乏しく、自分の考えをはつらつと表現するようなことはありませんでした。その子どもの表情を豊かなものにし、自分の考えを誰にでも伝えていいのだと知らせ、実際にその方向に育てていくのに、長い時間がかかりました。

 このような子どもは、決して珍しくありません。しかし、クラスの中でたくさん遊んだり勉強したりする中で、表情が生まれてくるのです。自分で考えたことを伝え合うからこそ学びが深まる、ということを繰り返し感じさせていく中で、思いを伝える力がついていくのです。それには、意図的な指導を繰り返し行っていこうとする熱意と、まとまった時間が必要なのです。

 

 もうひとつ別の例です。愛嬌もよく友達も多いのに、「うちの親は単身赴任なんだよね。キモいから帰って来ないでほしい」と言う子どもに出会ったことがあります。また、「うちではお母さんは優秀なんだけど、お父さんはバカなんだ」という子どもがいました。その都度、親が働いているからこそ、安心して今の生活を送ることができるのだと言って聞かせる必要がありました。

 こういった例は、枚挙に暇がありません。いくら道徳の授業をしっかりやっていても、子どもたちの言動の中には、大人を驚かせるものがあるのです。東日本大震災のときには、たくさんの子どもたちの命も奪われ、もっと生きたいという思いが断たれました。学校生活の中で、常に命と向き合えとは言いませんが、今生きていることに対して感謝する気持ちを育てていかないと、当たり前の中に溺れてしまうのではないかと危惧します。

 

 最後にもうひとつの例です。プリントを配布すると、ごくたまに数え間違いをして、列の後方で余ってしまうことがあります。それを、教師の机上にそっと乗せておくなどの対応をしてくれると助かるのですが、「これ、余りました」といちいち告げてくることがあります。その対応が、間違いだとは言いません。ところが、教師が次々と仕事をこなしているような場合であっても、教師の後を追いかけるようにして、プリントを差し出してくる子どももいるのです。相手の動きが目に入らないのか、あるいはパターン化された中で生活してきたのではないかと思います。

 相手の気持ちや状況を把握して、それに応じた言動をとることは、大人であっても難しいものです。しかし、成長するということは、相手を思うことでもあります。そういったスキルを、教師が意識して育てていかなければならないと思います。

 

 私がもし知人の子どもを担任していたとしても、不登校を食い止められたかどうかは、自信がありません。しかし、学校でももっと心を育てることができていればと、悔やまれるのです。教師が教科を教育する技術を磨くばかりではなく、子どもを育てるための力量も高めていく必要があると思うのです。

 そういった力は一朝一夕で身に付くものではなく、多くの子どもたちと出会い、経験によって磨かれていくものでもあります。新年度も自分自身が研鑽を積む一方で、若い先生たちを育てることができるようにがんばっていこうと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

同じテーマの執筆者
  • 松井 恵子

    兵庫県公立小学校勤務

  • 松森 靖行

    大阪府公立小学校教諭

  • 鈴木 邦明

    帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師

  • 川村幸久

    大阪市立堀江小学校 主幹教諭
    (大阪教育大学大学院 教育学研究科 保健体育 修士課程 2年)

  • 髙橋 三郎

    福生市立福生第七小学校 ことばの教室 主任教諭 博士(教育学)公認心理師 臨床発達心理士

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop