2016.01.19
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校内研究は、システムではない! 生きた校内研究を!!

兵庫県公立小学校勤務 松井 恵子

 「研究はね、システムではなく、エピソードなんだよ。」

 「研究はシステムではない。エピソードなんだよ。」

私の胸につきささったこの言葉。

5年前にある学校の教務の先生から頂いた言葉です。

5年前、研究主任になったばかりの私は、焦っていました。ベテランと若手の狭間の年代で、しかも女性の私が研究主任という、その当時ではめずらしい人事であったこと、その上、県の指定を受け、公開授業を行うことも決まった。さあ、どうやって学校の研究推進体制を作っていこうか・・・その当時の私は、焦っていました。

 

そんな折り、北の方のすばらしい先進校に視察に行きました。公立小学校です。

その学校の6年生は、朝の学活でもどのような授業でも、自らの言葉で率直に、しかも自然に話すのです。自分たちで授業をコントロールするかのように、語りながら聞きながら、思考を深めていくのです。ところが、1年生はそうではありません。6月の研究公開授業です。入学したばかりの1年生は、時間が長くなってくると、遊び出す元気な男の子もいたり、さらに一緒に遊び出す子が出てきたりして、一般の学校そのものでした。

この子達が、6年たつとあの6年生になるのか、すごい!

そんな感動と共に、1年生には若干の疑問も持ちました。あんなに遊んでいて保護者は心配にならないのかな。

そこで、案内係をしているお母さんに質問しました。

私「すばらしい子供達ですね。でも、1年生は遊ぶ子もいますね。参観日も同じような感じですか?」

母「同じような感じですよ。」

私「心配に思われたりしないのですか?」

 

母「心配には思わないですね。6年生までに、話せる子聞ける子に先生方が育てて下さると信じていますから。

 

感動でした。『地域に貢献する学校』まさにそれを感じました。

 

「こんなにすばらしい学校はどんな風につくられているんだろう。いったいどんな研究推進体制をとっているのだろう。」胸にわき上がった疑問はもう、押さえられません。

 

この学校の研究会は、閉会後に授業を公開した先生に直接話を聞くことができる「担任と語る会」という時間が設けられていました。研究協議とはまた別に、大会が終わった4時頃から、各教室に担任が待っていてくれて、もっと個人的にお話ができるのです。

 

ところが、私は、どうしても研究体制について話を聞きたかった。

だから、職員室のドアをたたきました。どうしても研究体制について話を聞きたかったのです。

 

「担任と語る会で、教室ではなく、職員室に来られた先生は初めてですよ!」

そう笑いながら、受け入れてくれました。

 

その当時の教務主任の先生と研究主任の先生にお話を伺いました。

「すばらしい子供達ですね。いったいどうやって研究をすすめられているのかと・・」

私が体制についてきこうとすると、言葉を遮るように教務の先生がお話を始めました。

 

「研究はね、システムではなく、エピソードなんですよ。」

 

研究体制、つまりシステムについてききたいと思っていた私は、面食らいました。

システムではない?エピソード???

 

教務主任の先生が言葉を続けます。

「この学校の研究について、よく質問を受けます。月に何回部会をもっているのか、や、どんな風に研究グループをつくっているのかとか。でもね、システムでは、研究は作れないんだ。研究は、エピソードなんです。

本校の先生は、この授業に至るまでに、何度も何度も指導案を書き換える。書いてきては書き直しを言われ、また作り直し、遅くなることも多々ある。健康か体調を崩すか、ぎりぎりのところでせめぎ合ってがんばっているんです。

だから、ある研究会の時、インフルエンザになった先生がいましてね、さあ、明日の授業は中止にしようかと言った時があるんですよ。すると、隣のクラスの先生が、私がやりますといって授業を公開したんです。その先生自身も自分の研究授業で精一杯のはずなのに、共に、これまで積み上げてきたからこそ、『私がやります』の言葉がでるんです。相当な覚悟ですよ。

つまりね、研究は、こういったエピソードがあることが大事なんだよ。

与える量ではなく、求めさせること。教務や研究担当は、先生達のその金色の鍵を預かっているんだ。」

 

衝撃でした。

帰路の電車の中、胸の高鳴りが止まず、揺られる電車のリズムに眠気がくるはずなのに全く寝ることもなく、うずうずする感覚で帰ったのを今でもよく覚えています。

 

教師の生き方を拓く

私は、学校における全教育活動を通して子供達の生き方を育てていると考えます。子供達の前にたつ教師自身が、自分の生き方を自己更新し続ける姿であり続けることが、一番大切だと感じます。

よく他の学校から本校に着任された先生が

「この学校のやり方は、どうなんですか?」

と聞かれることがあります。

もちろん、その学校その学校で、研究している教科は違うし、授業へのアプローチの仕方もちがいます。

私も、たくさんのひな型をつくってきました。

 ・発表と聞き方の型・めざしたい振り返りの話型・板書とノート・指導基本理念(研究のめざす方向)単元構成の方法など

「どんなものを目指せばいいのかわからない。」という声を聞く度に、本校の研究は算数と理科を中心に進めていますので、算数、理科の指導要領の解説はもとより、言語活動の充実の面から、国語の指導要領の解説も読みあさり、目指す児童像を低・中・高学年と分けて「Hasuike Style(蓮池スタイル)」として提示してきました。

 

今まで、教師が経験の中で得てきたことを少しでも可視化することで、経験年数に関係なく、生きた授業・教育へのアプローチができるようにと考えたのです。

 

団塊の世代が退職の時期となり、次々に若手が採用される昨今に、経験値で授業をつくるのでは間に合いません。少しでも教育の価値を見える様にし、獲得しやすいようにすることが急務です。

 

しかしながら、いつも私が口にするのは、この型を使うことが目的ではなく、子供の考え方、取り組み方を育てることが目的であるということです。まるで、ロボットに話をさせるように、発表の型を教えるのでは、子供達が将来社会に出たときの力にはなりません。思考を深めるための手だてが言語であり、学ぶ姿勢自体が、生き方なのです。画一的な子供をつくるのはなく、子供のもつ力を引き出していく、伸ばしていくのが、教師の役目です。

 

それは、学校がかわっても、同じこと。

 

ある程度の「Hasuike Style(蓮池スタイル)」(ひな型)は、きっかけです。そこから、先生自らが目の前の子供と自分の個性に合うスタイルを確立していくことが、子供の力を一番伸ばすのです。そして、このスタイルに完成はありません。なぜなら、目の前の子供達は日々、変わっていくのですから。だから、子供の生き方を拓くために、教師は常に自己更新し続けなければならないと思うのです。

 

先生方の教師人生を拓きたい

若い先生方が増えた、というか私自身が中堅の立場になる年齢(?)である最近に、よく言っていることがあります。それは、

「子供達のための校内研究・研修であることはもとより、教師としての生き方が花開くものでありたい。

この学校をきっかけにして、他の学校にかわられても、先生たちが幸せな教師人生を作っていける、そんな校内研究・研修にしたいと思っています。」

 

そう、それは、5年前、私が頂いた「金色の鍵」そのものです。扉を開き、今の私があります。

研究・研修担当は、先生方の金色の鍵を預かっている、そして金色の鍵を先生方に渡し、その自らの手で金色の鍵をもって教師人生の新しい扉を開ける。それが、研究・研修担当の役目であり、思いのつまったエピソードが繰り広げられる入り口なのです。

 

若い力が動き出す「チーム蓮池(学校)」

今年は、若手による若手のための研修「サークル研修」を設定しました。何事も新しいことをするときには、反対意見もありますし、とまどいを感じる方もいらっしゃいます。でも、そこで止まってしまっては、成長はありません。うまくいかなければ、形をかえていけばいいのです。

大切なのはただ一つ、「よりよいものをつくろうと走り続けること」

誰のために?もちろん、子供達のために!

今年は、サークル研修として、若手を長として、有志による研修の機会をつくりました。始めは、「何をするの?」等、でましたが、若手のサークル研修長の大きな躍進で、回数が増えるだけではなく、聞くだけの研修から自分たちで学びたいことを提示し研修を深めるという動きが生まれており、チームとしての高まりを感じます。

そんな中、「悩み」をもつ若手教師がでてきました。それは、クレームがきたとか、そのような表面的なものではありません。「もっとよい授業をしたい。もっと子供達をのばしたい」という思いからです。今まで見えなかった大切なものが見えてきたからこそ、「悩む」のです。壁は次への扉です。進んでいるからこそ、新しい壁=扉に出会うのです。動き出したチームの力が、個々の力へとかわる瞬間ともいえるでしょう。

 

世界は貢献でできている

私は5年前にお話を頂いた教務主任の先生へ、胸いっぱいの気持ちを手紙にしたためたのですが、その中で、このようなことを書きました。(コピーを残しています)

 

『私は、自分の無力さに気づきました。先生の小学校の実践には、全く届きませんが、私自身、学級経営及び授業をする中で、「小学校では、生き方を学んでいる。」「自分の思いを持つこと、そして、それを共有することが大切。」「友達と考えを比べながら、アクティブに聞くことが大切。」などという強い思いを持ち、授業を行ったり、それを子ども達に語ったりしていました。本当に微力ではありますが、ここ数年は、学級の高まりを築きあげている実感がありました。しかしながら、私の考えは、たいへん浅いものと確信しました。

その一番大きな理由・・・それは、ただ1クラスの児童の、たった1年に携わるだけでは、世界平和は築けない、ということ。○○小学校のように、全クラス、全児童が、豊かに生き、学び、そしてそれが保護者に波及し、地域に波及し、平和を、つまり、前向きに生きる社会を作っていくのだな、とつくづく思いました。』

 

今ならもっと言えます。自分の学校だけではなく、その地域の学校全てがそうあってほしいと思う。もっと言うならば、日本の全ての学校が、貢献する学校であるべきだと。

なぜなら、未来の平和をつくっているのですから。教育は社会の根幹なのです。

松井 恵子(まつい けいこ)

兵庫県公立小学校勤務


兵庫県授業改善促進のためのDVD授業において算数科の授業を担当。平成27年度兵庫県優秀教職員表彰受賞。算数実践全国発表、視聴覚教材コンクール特選受賞等、情熱で実践を積み上げる、ママさん研究主任です。

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