月日の過ぎるのは早いものだと、年末を迎える度に思います。今年は思いがけず、9月から6年生を担任することができたことが、私にとっての重大ニュースとなりました。かわいい子どもたちとの出会いに感謝しています。卒業まであと3ヵ月。冬休みに英気を養い、がんばっていこうと思っています。
さて、6年生と過ごしてきた4ヵ月を振り返ってみると、授業の大切さを改めて考えさせられた日々であったと思います。
若いころ、同じ学年を組んだ先輩は、授業に関してふたつのことを教えてくれました。ひとつは、「教科書以外のことを、どれくらい教えられるかが勝負だよ」ということです。その当時から比べて教科書の中身も充実してきましたし、授業のあり方も進化してきたので、これまでこの言葉を忘れていました。ところが、先日知人と話していて、ふと思い出したのです。その知人のお子さんは高校生なのですが、自分が教科書以外の知識がないのではないかと悩んでいるというのです。それは人との接し方や、常識的な言葉の使い方などということでした。
例えば算数の教科書では、昨今は発展的な内容を随所に掲載していますので、教科書が基本的な内容だけを取り扱うにすぎなかった以前のものとは、趣が違ってきています。また、学んだことを生活にいかそうという考え方が浸透し、各教科で様々な取り組みが行われていますので、そのあたりも大きく変化してきたと思います。
しかし、同じ教科書を使っていても、授業は教師の力量に左右されるということに変わりないのです。私たちは、教科書を使いこなし、より質の高い授業を行っていかなければなりません。
また、学校という場は社会の縮図であり、子どもたちにとって社会に出ていくための予備校のようなものであると、私は考えています。ですから、教科書を用いて学習することは大事ですが、学校は知識を獲得することだけが目的の場所ではないのです。
もちろん、文部科学省のいう「確かな学力」とは、「知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、学ぶ意欲や自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの」を言うのですから、知識や技能獲得に際して必要とされる、様々な学力も付随していることは言うまでもありません。
しかし、学校生活を行っていく上では人間関係作りも大事な側面ですし、知人のお子さんの言うように、日常生活で使われている言語の獲得もとても大切なことなのです。
我が子が中学生の頃、親友のおじいさんが危篤だということで、早退したことがありました。息子は「危篤」の意味を取り違えていて、帰宅するなり「おじいさんが亡くなったそうだよ」と報告してくれました。それで、危篤という意味を教え、安易に人の生死を言葉にすべきではないという話をしました。すると息子は、「そういうことは、早めに教えておいてもらわないと困るんだよね」と生意気なことを言ったのを覚えています。確かにその通りだけれど、学校ではそこまで突っ込んだ話はできないだろうなと思ったものでした。しかし、この例に限らず、子どもたちに伝えていくべきことは、たくさんあるのかもしれません。
先輩から言われたことのふたつ目は、「生活指導も大切だけど、授業が楽しければ子どもは育つ」ということです。子どもの中には、やんちゃで手を焼かせるようなタイプの子どもたちもいます。エネルギーが溢れていて言葉も達者ですから、教師の方がうかうかしていると、劣勢になってしまうこともあります。
そのようなタイプの子どもたちを担任するときに、子どもを叱ってばかりいると、関係が悪化してしまうのです。それよりはむしろ、授業を通して学ぶことの楽しさを教えることが大切だと、先輩は力説していたのだと思います。学ぶ楽しさがわかってくれば、エネルギーを勉強に向けることができるようになるからです。「授業が勝負」、そんな言葉を何度も耳にしました。
長年子どもたちとかかわっていると、この言葉も重いことに気付かされます。私も子どもへの対応に苦慮するような場面に出会ったことは数知れずですが、子どもと教師の信頼関係だけでは、子どもを学校に引き止めておくことは難しいと思っています。学校が楽しいと思う背景には子ども同士の円滑な人間関係も必要ですし、授業の魅力も大きな要素となっているのです。勉強が楽しいと思えれば、子どもは学校に足が向くのだと言っても過言ではありません。
実際に、不登校傾向の子どもを担任したときに、子どもが休み時間に連れ立って校庭に出て行くような姿を目にすると、改善の見通しが立ったと感じます。教師と友達との関係ができると、今度は授業にも目が向くようになります。そのときに、楽しく、その子どもに自信をもたせるような授業を行うことができれば、登校の意欲に拍車をかけることができます。
以前に受け持った子どもは、書くことはとても苦手でしたが、耳からの情報はよく入り、聞いているだけで授業の内容を理解できるようでした。ですから、書くことを強要せずに、発言させることによってよさを引き出すことができるように意識してかかわったことがあります。発言の内容が的を射ているので、クラスの子どもたちからも一目置かれるようになり、クラスがその子どもの居場所になっていきました。
小学校の教師は、多くの教科を担当せねばならず、すべての教科を充実させていくには経験年数も必要です。ですから、まずは自分の得意な教科の教材研究に時間をかけ、その授業を楽しいものにすることで、成果を他教科にも波及させていくことがよいかもしれません。また、苦手と思う教科の指導法については、先輩の方法を真似していくことも効果的な方法ではないでしょうか。
子どもたちにとって楽しく、もっと学びたくなるような授業を、これからも目指していこうと思っています。
今年も、私のつれづれな思いにおつき合いいただき、ありがとうございました。みなさまどうぞ、よい新年をお迎えください。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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