2015.12.01
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よりよい授業を創るために NO.17 「イメージを共有化しよう!」

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 12月に入り、学期末を迎える時期になりました。月日の過ぎるのはあっという間だと感じます。

 勤務校では学芸会などの大きな行事が終わり、個人面談を行っています。二学期を振り返り、子どもたちの成長と課題を見つめて、新年を迎えたいと思っています。

 

 さて、国語の学習で「ぼくの世界、君の世界」という説明文を学習しました。これは西研さんという哲学者が書かれたもので、心の世界は一人一人異なるのだから、わかり合うためには伝え合うことが大切だという思いが綴られています。

 確かに私たちは、言葉を使って伝え合っています。ですから、思いを言葉にして伝えることは、言うまでもなく大切です。しかし、同じ言葉でありながら、その意図するところが相手に正確に伝わっているのかどうかを判断するのは、難しいことだと感じることがあります。例えば、子どもたちに「宿題は自主学習をやってください」と伝えたとします。すると翌日のノートには、様々な内容の学習の様子が見られます。算数の復習で問題を解いてきたもの、社会科の学習のまとめを書いてきたもの、理科の実験の様子を絵や図で表したものなどです。

 中には数行の日記で終わっているものもあります。日記であっても学習といえるのかどうかは、担任の意図するところに合致しているかどうかという問題になります。もし、私が日記を自主学習の範疇と認めたくないのであれば、その旨をきちんと説明しておく必要があります。自主学習といったら、国語、社会、算数、理科などの教科の、復習や予習をするに決まっていると思っているのは担任ばかりということにもなりかねないからです。

 この例に限らず、日常的にこのようなイメージの相違は生じています。それは学校に限定されるものではないでしょう。きちんと説明したつもりでも、相手の受け取り方でズレが生じることもあるのですから、自分の思いや考えを正確に伝えるためには、日々スキルを磨いていく必要があるなと感じます。

 

 また、イメージに対するこだわりというのも、一人一人違うと感じさせられることもあります。先日行われた学芸会で、私たちは子どもたちに劇をやらせました。そして、舞台の背景をイメージしやすくするために、大きな絵を描いて貼ることにしました。

 私は、そういった絵を描くときには、子どもの作品で十分だと思うタイプです。ですから、「遠近法で描かなければならない」というこだわりがありません。「前方を大きく、遠方を小さめに描くとよい」程度の指導をしたとしても、そこに多少のズレが生じたところで、問題はないと思うのです。しかし、専門的に絵を学んできた教師にとっては、そういったアバウトな姿勢は受け入れられないようでした。放射線状に線を引き、それに沿って描くことにこだわっていました。

 そこにかかわった子どもたちは、遠近法というのはそうやって描くのだという学びがあったでしょうから、全面的に否定するものではありません。でも、大人びた美しいデザインの絵を掲示することが、果たして子どもの劇にふさわしいといえるのかどうかは疑問です。

 

 もうひとつ、別の例です。みなさんがカレーパーティーをしようとしたときには、大鍋にカレーを作って、ご飯を大量に炊くというイメージをもたれる方が多いと思います。しかし、一人分の材料から人数分を想定し、ご飯を炊く分量も制限して考えようとするタイプの人もいるのです。

 そのいずれかが正しくて、一方が間違っているということではありません。時と場合に応じて、やり方を考える必要があるということだからです。しかし、子どもたちが大勢集まるような場面では、どれくらいの量を食べるのか予想がつきにくい場合があります。そんなときには、「余ったら持ち帰って夕飯に食べよう」と思って、多めに作るのが一般的かもしれません。

 こだわっていい場面と、そうしない方がいい場面というのは、日常的にも見られるのです。

 

 さて、あるとき授業などにおけるこだわりを巡って、若手と話をする機会がありました。実はその若手もある面、こだわりの強いところがあるのです。私はその若手に以下の自分の考えを伝えてみました。

 「私たち教師は、学校を離れれば家庭人でもあるでしょう。子育て中の人もいれば、介護をしている人もいます。たとえば、保育園の迎えのために早めに退勤したとしたら、家で仕事をする必要が出てきてしまいます。それでも、それをバランスよくやっていく必要があるのだと思います。

 教師の努力すべきことは、小さいエネルギーで、大きな成果を上げる工夫をすることです。子どもたちも同じです。彼らにも、小さなエネルギーで成果を上げる知恵をつけていかなければなりません。学芸会がいい例だと思いますが、教師が全力を投じ、子どもたちも疲弊しきってがんばったとしても、評価が低ければ意味がないのです。精一杯がんばることと、燃え尽きることは違います。

 教師がこだわりをもって取り組むべきところと、子どもの思いを全面的に尊重する場面をうまく調整していかないと、どちらも疲れてしまいます。いかにして疲労を抑え、成果を上げる工夫をしていくことができるかというのも、教師の資質だと思います。」

 

 先日、都に勤務してから25年の表彰を受けました。思いもよらずに長い間、教師を続けてきたものだと思います。しかし、学芸会の後には、体力を使い果たして回復するまでに苦労しました。個人面談でも、保護者とイメージを共有し、誤解を生まないための努力が続いています。月日を重ねても要領が悪い自分を感じますし、まだまだ勉強だと背中を押されるようなこともあります。日々、気持ちを新たに、がんばっていこうと思っています。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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