2015.07.24
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よりよい授業を創るためにNO.10 「主体的な学びを促す授業を!」

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

時代が移り変わり、人々の価値観が変わってくると、教育に求められるものも大きく変化していくのだということを、強く感じています。
 
 たまたま、ある授業を、大勢の教師で参観する機会がありました。その授業は、「教師主導型」の「一問一答式」と呼ばれるスタイルで、教師がずっと話し続け、教師から質問されると子どもたちが挙手をするといった授業です。「となりのトトロ」などでも、そういった授業風景が出てきます。
 
 しかし、ここ10年ほどの間に、このスタイルはほとんど見られなくなりました。「課題解決型」と呼ばれる授業への転換が始まったからです。その象徴とも言えるのが、総合的な学習の時間の導入でした。自分で疑問に思うことを課題として設定し、それを解決するために調べ、まとめ、発表するという授業の流れが、教育現場に浸透することになったのです。今では、このスタイルを生かしつつ、さらに工夫を凝らした授業が展開されています。
 
 そういう現状にあって、未だに教師主導型の授業を行っていることに、一緒に参観していた友人も驚きを隠せない様子でした。参加者の中から、「昭和の香りがするね」という皮肉すら聞こえてきました。
 
 
 では、なぜ教師主導型ではだめなのでしょうか。もちろん、ときにはそのようなスタイルで授業をすることもあるのです。100%否定されるものではありません。しかし、そういったスタイルを変えてきたという歴史には、必ず意味があると思うのです。
 
 最も大きな理由は、子どもたち一人一人の学習の質を上げることにあると思います。例えば、教師が一方的に話し続けていれば、子どもたちが45分間もの長い時間、集中して話を聞いていられるとは限りません。テレビマンガの影響で、子どもたちの集中が10数分間で途切れるため、間にコマーシャルタイムのような時間を入れる必要があると言われてから、20年以上も経ちました。それから集中力の短さが改善されたという話は聞かないので、従来型のスタイルでは、学習の成果を期待できるとは思えないのです。
 
 また、このスタイルにつきものなのが、黒板を書き写すことを子どもたちに強要しがちだということです。教師のペースで話したり板書(黒板に書くこと)したりする流れの中で、子どもたちは話を聞いているのか、ノートに書いているのか、時間的な区別がつきにくいという問題が発生します。つまり、聞いているべき時間であってもノートに書き写すことに夢中になってしまい、話のほとんどを聞き逃しているかもしれないのです。
 
 それから、「話を聞いている」「黒板を丸写ししている」という活動は、とても受動的であるということが問題です。一方的に流れてくる情報を受けとめているにすぎません。もし発言することができたとしても、45分間に1~2度しか声を発することができないのです。大人ならまだしも、小さな子どもたちが、授業のほとんどの時間を黙っていることが可能なのかどうかを考える必要があります。
 
 ただ、同じように話を聞くスタイルであっても、自分が課題意識をもつような設定をすれば、話が変わってきます。「どうしてそうなるのだろう」という気持ちがあれば、話の中から答えを見いだそうという主体的な動きが生まれるからです。とはいえ、耳からの情報が入りにくい子どもたちが、多くのクラスに存在することを意識しなければなりません。そのような子どもたちに対して、話をずっと聞き続けさせることは、苦痛でしかないのです。
 
 
 もうひとつ、別の例を挙げたいと思います。あるとき、若手の授業を見せてもらいました。国語の物語文の学習で、段落毎に見出しをつけてから内容を読み取るというグループ活動を中心に、授業が進められていました。グループで考えた見出しについて教師がそれでよいかどうかを点検し、全グループの考えが出揃ってから、模範の見出しを教師が黒板に書いていました。それから、ワークシートに沿って、内容の読み取りが行われていきました。
 
 この文章を読んで、日頃授業を行っていない方には、何が問題なのかを判断するのは難しいかもしれません。実はこの授業も、教師主導型なのです。子どもたちにグループ活動をさせて、あたかも子どもたちが主体的に学んでいるようであっても、判断の基準が教師にあるというのが問題なのです。
 
 もし私が授業をするなら、次のような流れになると思います。
  文章の内容をよく読み取ってからキーワードを探し出し、要約を捉える。
  要約をもとに見出しを考える。
  グループで考えた見出しを発表し合い、どのような考え方がよかったかを子どもたちに判断させる。
 
 ワークシートに書き入れる順番にこだわるあまり、子どもたちが考える機会を奪っているなと感じ、そのことについて、若手と長い時間にわたって話合いをもちました。若手が私の提案を受け入れるには、丁寧な説明を要したからです。
 
 
 私は、自分の授業の合間に若手の授業を見せてもらうこともありますし、これまでも多くの授業を参観させてもらってきました。自分の授業がいつも完璧に行われているとは言えないのですが、どのようにしたら子どもたちが主体的に学ぶことができるのかについては、これまで多くのことを学んできたと思います。
 
 前回の投稿の中で、「なるべく自分がしゃべらないで授業をする」という先輩の言葉を引用しましたが、それも子どもたちの主体的に学習を支えるテクニックのひとつです。私は、それにもうひとつ付け加えなければならないと考えています。「教師が答えを出さない授業をする」ということです。ゴールに辿り着くまでの支援はしても、先走って答えを教え込んでは、子どもたちが考えようとする意欲をそぎ、考えることを放棄させてしまうからです。
 
 話は総合的な学習の時間の導入期に戻りますが、そのころに、「支援」という表現が教育現場に入ってきました。それまでは、「教える」とか「指導」という方法で教育を行ってきたのに、「支援」という表現には多くの仲間が戸惑っていたのを覚えています。そして、しばらくの間は、教えることを極端に疎んじ、支援に徹しなければならないといった風潮がありました。

 しかし、前述したような授業では支援を通じて考えさせる必要があったとしても、授業すべてを「支援」で終わらせるというのは間違いです。教え込まなければならないことは、教えなければならないのです。その判断を、教科や単元で臨機応変に行っていくのも、教師の大切な仕事なのです。 

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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