梅雨入りという言葉を耳にするようになりました。急に気温が上がり、熱中症などにも気をつけなければならない季節になりましたね。学校公開や移動教室、運動会などの行事が目白押しになる時期ですので、体調には十分に気をつけていきましょう。
さて、ここ数回にわたり、子どもたちが「聞く」ことを通して情報を受け取るためには、どのようにすればよいのかについて書き進めて参りました。そして、子どもたちの「聞く姿勢」を鍛えることは言うまでもなく、教師の話し方や資料の提示の仕方にも工夫が必要であることをお伝えしてきました。
こういったことをよく考えているせいか、ふとした会話から、いい授業をするためのヒントをもらうことがあります。先日も若手教員と話をしていたときに、声のトーンについての話題が出ました。その教員が言うには、知り合いの教師の声が低くて、子どもたちに聞き取りにくいのではないかと感じたらしいのです。
すると、もう一人の教員が、子どもたちに話すときには、オクターブ上げて話すようにしていると言いました。確かに1オクターブとは言わないまでも、私も子どもたちに話すときには、音程を上げて話すことが多いように思います。
例えば電話に出たときなどに、自分の声のトーンが上がっていることに気付かれたことがあるのではないでしょうか。よそ行きの声というのは、トーンが高くなるものです。そういった声の高さは、子どもたちの気持ちと同調しやすいので、低い声よりも内容が通じやすくなるように感じます。もちろん、男性の声は低いことが多いので、一概に言い切ることはできませんが、テンションを上げて子どもとかかわるのは大事だと思っています。
もうひとつ、これも若手教員から教えられた例です。あるとき、特別な配慮を必要とする子どもたちに、どのような対応をするのかについての情報交換をする機会がありました。若手からもさまざまな意見が出されました。私が若いころは勘にたよった指導をしていた記憶もありますが、最近は基本的な対応が上手になってきたなと感心しました。
その中で目立ったのは、聞き取ることを苦手とする子どもがクラスにいた場合、全体への指導をした後、個別に声をかけるという対応でした。例えば、「今から漢字の学習をしたら、先生の机の上にノートを出しましょう」と全体に向かって話した後、特定の子どもの傍に行って、「これから漢字の練習をしますよ。ノートを広げて始めましょう。このページを書き終わったら、先生のところに持って来てね」と、より具体的に話しかけるのです。
こういった指導の仕方は、ごく当たり前に行われるようになってきており、子どもたちも特別扱いを受けているといった感覚をもつことは、まずありません。教師が個性を尊重し、必要に応じた声かけをしていることは、子どもたちには十分に伝わっているからです。
先日も、このことを裏付けるようなことがありました。あるクラスの給食の手伝いにいったとき、Aさんが机の上に敷くハンカチを忘れていたのです。そのクラスでは、ハンカチを忘れた場合には、お代わりができないというルールがあるらしいのですが、Aさんはお代わりをしてしまいました。
すると、Aさんの隣に座っていた子どもが、私のところにやってきました。「先生、Aさんはハンカチを忘れたのに、お代わりをしたよ。このクラスでは、それはいけないことになっているんだよ」と。
ハンカチを忘れたらお代わりができないというルールが好ましいかどうかは、ちょっと脇に置いておいて考えてみてください。みなさんなら、どのように対応するでしょうか。
私は、Aさんに確認しました。私が案じたとおり、保護者の方が忙しくてハンカチを用意するのを忘れていて、子ども自身もどこにしまってあるのかわからないという話でした。でも、手を拭くハンカチは持っているというので、それを机の上に敷くように指導しました。そして、クラスの子どもたちには、Aさんは家に帰ったら、ハンカチの置き場所を確かめて、忘れないようにすると言っている旨を伝えました。
私は、これで一件落着だと思っていたのですが、先ほど忘れたことを伝えにきた子どもが、再び私のところにやってきました。「先生、そういう事情がわかっていたら、言いつけにこなかったのに」と、とても悲しそうな顏をするのです。優しい子だなあと、びっくりしました。
このような例からもわかるように、子どもというのは私たち大人が言い聞かせるよりも、自分で感じて学び取ることが多いものです。それなのに、ああだこうだと口やかましく言い過ぎているのは、大人の方かもしれません。教員の過剰な言動が子どもたちの聞こうとする意欲を削いでいたとすれば、問題だなと考えさせられました。
ところで、子どもたちと授業をしたり指導をしたりする場合、これまでお話ししてきたような技術が必要であることは言うまでもありません。しかし、最も大切なのは、子どもに愛情を傾けることだと思っています。相手が愛情をもって接してくれているのかどうか、自分を好きだと思ってくれている大人なのかどうかを、子どもは敏感に感じ取るからです。愛情をもって接していれば、技術が未熟であっても、子どもたちは話を聞くようになるし、勉学にも励むようになるのです。
芽が出たばかりの草木を引っ張って伸ばすことができないように、私たちは子どもを力ずくで伸ばすことはできません。子どもが伸びていくことができるように、手助けするだけなのです。そして一番の助けになるのが、愛情をかけることです。
やんちゃな子どもたちを前に、自分から愛情を注いでいくことを難しいと感じることがあるかもしれません。しかし、それができるように自分を磨いていくことが、とても大切だと思うのです。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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