新緑の美しい季節になりました。ゴールデンウィークで、新学期の疲れが癒されたことと思います。夏休みまでは長丁場ですが、仲間と励まし合ってがんばっていきたいですね。
ところで、前回は、子どもたちに耳からの情報を捉える力をつけさせるためのヒントとして、話を聞こうとする姿勢を育てたり意欲をもたせたりすること、視覚的な情報を補足的に用いることなどが大切だというお話をしました。そして、視覚的な情報が過多になると、子どもは聞くことをおろそかにしてしまうから、気をつけなければならないと忠告させていただきました。
ただし、この方法がすべてというわけではありません。例えば図工の授業で工作の手順を説明するような場合には、視覚的に示すことが他の教科に比べて重要な意味をもつようになります。私はそのようなとき、子どもたちが自分のイメージを創り上げていくのに邪魔にならない程度の作品を、実際に作って見せるやり方をとります。すると、子どもたちの中に「やりたい」という気持ちがぐんぐんと湧いてくるのを感じます。
一方で、家庭科の授業で裁縫や料理を教えるときには、きちんとしたやり方を見せます。こういった技術を真似て覚えなければならないときには、明確に方法を伝える必要があるからです。音楽の楽器の使い方や、体育での用具の扱い方なども、見せて説明することがふさわしい内容です。
授業では、言葉だけで伝えるべき内容、視覚的な情報を補助的に使うべき内容、視覚的な情報をきちんと示して説明すべき内容を、それぞれの教師が意識的に組み合わせて使いこなしていくことを心がけていきたいものです。教師の力量によって、子どもたちが受け取る情報量や内容が左右されてしまうからです。それが学力につながっていくことを考えると、気持ちの引き締まる思いがします。
さて今回は、教師がこのように多くの工夫を重ねて授業を行うことを前提にして、私たちが最も気をつけなければならないことをお話ししていきましょう。私は、授業の質を決定するのは、教師の話がおもしろいかどうかだと思います。おもしろいというのは、笑い話という意味ではなく、「理解しやすい」とか、「リズム感がある」ということを意味します。
では、理解しやすい話し方というのは、どのようなものなのでしょうか。私は、ラジオ番組のアナウンサーが、とてもいいお手本になると思います。映像がなくても、聴き手にイメージを湧かせるように、まるで目に見えるように語るのです。つまり、子どもたちに映し出してもらいたい映像が浮かぶような話し方をすべきなのです。言い方を換えると、授業とは教師の話や働きかけによって、子どもたちが映し出す映像を操作していることを意味します。ですから、子どもたちの頭に映像を映し出し、それがどのように変化していくのかを捉える力が、教師には必要なのです。
しかし教師は、子どもたちを前に話をするので、ラジオ番組のアナウンサーとは異なります。その様子を比喩的に表現してみると、呼吸することと似ています。教師の話を聞くことは吸うことであり、自分の思いを伝えるのは吐くことなのです。ですから、教師が子どもとの呼吸を合わせて授業をしていくことが、とても大切だと言えます。テンポのある話し方や、授業の進め方をしていくと、そこには自然と呼吸のようなリズムが生まれてきます。そういった授業の流れが心地よいということを、子どもたちにも体感させていかねばなりません。
余談ですが、このような授業を子どもたちと共に築いていこうとするのであれば、子どもたちのおしゃべりを威圧的にとどめるようなことは慎むべきです。無駄話をさせないことは大切なのですが、子どもたちの反応を停止すべきではないのです。けじめが大事であることを伝え、互いにとってほどよい間合いと子どもたちの反応を認めていった方がいいでしょう。
大人も同様ですが、話すことを通して呼吸を整えていることがあるからです。よくご高齢の方たちが集まっておしゃべりをすると、脳が活性化されるといった話を耳にしますが、これは年齢に関係することではありません。子どもたちも話すことを通して、呼吸を調整しているのです。
このことを私に気づかせてくれた、とてもおもしろい例をお伝えしたいと思います。あるとき私は遠足の引率を頼まれたので、別の教師に授業を頼んで出かけることにしました。その教師はとても厳しいことで有名だったので、子どもたちも緊張して授業に臨んだそうです。そのため、その授業では一言も話ができなかったという報告を受けました。「先生、昨日はおしゃべりができなかったから、もう苦しくて死にそうだった」多くの子どもたちが同様の表現で報告してくるのを聞き、子どもたちがうるさいくらいおしゃべりすることは苦悩のタネであったけれど、彼らはおしゃべりをしないと呼吸ができないのだなと気づき、苦笑しました。
もうひとつ、私にわかりやすい授業をすべきであることを教えてくれた、子どもの言葉をご紹介しましょう。その子どもは、どちらかというと算数が苦手でした。それでも、一生懸命に問題を解こうと努力していました。あるとき、どうしてもわからないという問題をいっしょに解いていると、彼女がぽつりと語りかけてきました。
「先生、どうして先生たちは、私がわからない言葉で算数の授業をするの? もっとわかる言葉に直して話してくれたらいいのに」
「それからさあ、これはもうわかりましたね、みたいに言われるのは嫌だよね。わかっているわけないのに、わかりませんとも言えないし・・・」
これは胸にズシリと響く言葉でした。子どもたちの聞く姿勢や聞く力を育てようという前に、自らの授業技術を高めるための努力こそが大切なのだなと、実感させられました。
最近、スクールカウンセラーと話す機会が増えたのですが、「先生たちは、子どもがわかっているかいないかを把握しているのでしょうか」という疑問を口にされました。そんなこと当たり前だろうと思っていたのですが、自分の授業を進めていくことに精一杯で、若手の中には子どもたちの理解度を計る余裕がない教員もいるのかなと、考えさせられました。
自分の発する言葉や、示す図や写真、映像が、子どもたちの学習にどのようにかかわり、どのような力を伸ばしているのかに気付き、より楽しい授業を創っていくことができるよう、私も努力を続けていこうと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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