桜満開の中、入学式が行われました。やはり入学式には、桜が似合いますね。4月の年度始まりは、春を待ちこがれる人々の心が反映されているのかなと思います。
さて、多くの子どもたちと先生たちが新たな出会いの日を迎えました。これから数ヶ月の間は、学校や他人に慣れたりするのに大きなエネルギーを必要とします。教師の側からすれば、子どもたちが楽しい気持ちで登校してくれるように、あるいは学習の成果を上げることができるようにと、神経をすり減らすような日々が続くのです。そういった時期には、職員室でも様々な苦労話が持ち上がります。
ここで、ちょっと立ち止まって子どもとの関係を見つめ直してみましょう。子どもたちも、教師に慣れるのに必死だということに、思いを馳せてみる必要があると思うのです。
私は昨年の4月から算数少人数の担当となり、全校の子どもたちとかかわるという経験をしました。それまでは、ひとクラス40人弱の子どもたちを相手にしていればよかったのに、いきなり600人という大人数を相手にせねばならなくなり、とても戸惑いました。この仕事に慣れるのは大変でした。中でも苦労したのは、思春期の入り口に立っている子どもたちとの関係作りでした。結果的には、半年が過ぎ、一年が過ぎるにつれて、難しい年頃の子どもたちとも、とてもいい関係を作ることができました。その過程を振り返ってみると、子どもたちも、教師に慣れるのに大変だったのだろうなということです。特に、人とのかかわりを苦手とする子どもたちは、私の声や、授業のやり方に慣れるまでに時間がかかったのではないかと思います。
実は、まだ教師になったばかりの若いころ、私は些末なことで悩んだことがあります。そのひとつが、「子どもが私を好きになってくれるから、私は子どもを好きになれるのだろうか」といった疑問でした。今考えると、とても幼稚な疑問だったと思いますが、子どもたちとかかわっている中で、私はすぐに答えを見つけられたことを覚えています。「教師が子どもを好きになるから、子どもも好きになってくれるのだ」という解答です。互いが互いの立場に立って、相手を思いやることが大切なのは言うまでもありませんが、まずは大人が手本を見せることが、関係作りの第一歩となるのだろうと思います。
これに関連することを、3月の初めの投稿でもご紹介しました。教師も子どもの願いを聞き入れて授業を展開すべきだという内容です。教師が子どもに対して、「ああしてほしい」「こんな子どもに育ってほしい」と願うことは必要です。しかし、教師が心を開いて子どもたちの話に耳を傾け、授業をより良くするような願いは積極的に聞き入れていくという姿勢を見せることも、とても大切だと思うのです。願いを聞き入れるということは、人間関係を築くための基本ではないでしょうか。
さて、今回は、授業中に子どもたちが「話を聞く」というのは、具体的にどのようなことであるのかについて考えてみたいと思います。私たち教師は、子どもたちに自分の話を聞いてほしいと思うのですが、その本質を知っていれば、早い時期に話を聞くことができるようになります。
例えば、喫茶店でBGMが流れているときに、聴いたことのある曲であれば気になりますが、知らない曲が流れている場合は音楽に注意を向けることはほとんどありません。近くで会話を楽しんでいる人がいたとしても、その話題を気にすることもないのです。注意を向けなければ、音をいちいち拾わないで済むというのは、とてもよくできた身体の仕組みであると思いますが、授業中の子どもたちの態度が同様であっては困ります。教師が熱心に話をしていたとしても、それが子どもたちの耳に届き、心に届かなければ学習をしていることにはならないからです。
このことからも、話を聞くということは、子どもが教師の示しているところに注意を向けることであることを理解していただけるでしょう。相手と視線を共有することを意味する心理学の言葉に、「ジョイントアテンション」というものがあります。授業中、教師が黒板の図式を示したときには、子どもの視線が図式にあり、教師の説明を聞こうと気持ちが向いていることを意味します。このジョイントアテンションが、子どもたちの中に育っているのかどうかを見極めることも、教師にとっては大事な仕事となります。
みなさんは、子どもたちが学習しているときには、教師に注意を向けることは当然だと思われるかもしれません。しかし、このような授業に対する姿勢というのは、教師が意識して育てていかなければ身につくものではないのです。極端な例ですが、私が受け持った子どもの中には、工場見学で説明を受けていても、視線をどこに向けていいのかわからずに、他の子どもたちとはまったく別のところばかり見てしまう子どもがいました。周囲の大人が、その子が小さいころに、意図された方向に注意を向けることが難しいと気づいていれば、有効な訓練ができただろうにと、考えさせられました。
話を聞くことのできる子どもを育てるにあたって、もうひとつ気になっているのは、教室の中がざわついていても授業を始めてしまう教師がいることです。子どもたちの意識が集中しているのかどうかを把握しようとしていないのか、あるいは多少のおしゃべりは許されると思っているのかについては、わかりかねます。しかし、40人近くの子どもたちを相手に授業を行い、学力をつけていこうと考えるならば、全員の意識を集中させてから授業を始めるべきです。
授業の中では、多少おしゃべりが許されると思って育ててしまうと、子どもたちには悪い癖がついてしまいます。学年が上がっても、あるいは別の教師が授業を行っても、おしゃべりが止まらないのです。本人たちと話し合いをもち、授業中は集中して話を聞くことにしようと約束しても、一度つけてしまった習慣を直していくことは困難です。ですから、小学校に入学したときに、学習のルールをきちんと身につけさせることが、何よりも大切な意味をもつのです。
新学期をスタートさせるにあたって、子どもたちの心に寄り添うと共に、学校というひとつの社会の中で生活し学習するにあたってのルール作りに取り組んでいきたいと思っています。押しつけのルールではなく、なぜこのようなルールが必要であるのかを子どもたちと確認しあいながら、誰にとっても過ごしやすい学校生活を作るための土台を作っていこうと思います。
学習のルールに関しては、様々な本が出版されていますが、とてもステキな本を見つけたのでご紹介します。アメリカで教師をされているロン・クラークさんが書かれた「みんなのためのルールブック」という本です。「あたりまえだけど、とても大切なこと」という副題がついています。「人の意見や考え方を尊重しよう」とか、「授業中は人の読んでいるところを目で追う」とか、当たり前のルールが50個取り上げられています。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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