学校現場や社会の中で、「話しても分かってもらえない」ことが多くなってきているように感じています。みなさんの身近では、どうでしょうか。
もちろん、一生懸命に分かってもらおうと話すわけですから、全然分かってもらえないということはないようですが。
たとえば、低学年の子どもに、けんかや友だちをたたいてしまった原因や理由をよく聞いて、仲直りをさせたとしても、一回で解決しないことはよくあることです。これは、事象の理解が十分でなく、自制心も不十分だからで、繰り返し指導していけばよいでしょう。
高学年になっても、宿題をしてこなかったり提出物を出さなかったりする子がいます。指導してもなかなか直らない場合があります。本人は「いけないこと」だという意識がありながら、それまでの習慣で「できない・忘れてしまう」ようです。この場合も、根気強く指導していくしかありません。
問題なのは、高学年になって(あるいは中学年でも)、善悪の判断ができるのにも関わらず、友だちに意地悪をしたり、いじめたりする子がいることです。話を聞いたりしたりしてみると、「自分の行為は悪いと思いながらも、ついやってしまう」というようなことを言います。十分な納得が得られない中、根負けして「もうこういうことはしないように」などと言ってきりをつけてしまうことがあります。指導したつもりでも、これでは何の解決にもなっていません。つまり、子どもは十分納得していませんから、形だけの解決で終わりにしてしまったということになるからです。
似たことが職員会議のような場でもないでしょうか。
たとえば、「子どもにあいさつをさせるには、どうしたらいいか」とか、「学力向上のために、何をしたらいいか」について話し合ったとします。全員の意見を聞くなどして時間をかけて、「あいさつ運動をしましょう」「教師から進んで声をかけましょう」とか、「資料としてもらった他校の実践をまねしましょう」「県教委から出された問題集を活用しましょう」と決まったとします。実際に、その決定が効果的に実践されることは少ないのではないでしょうか。それは、会議の後、その決定について不平不満が出るからです。「校長が大したあいさつをしないのにできるかよ」「そうは言っても、そんな時間なんかないよ」「やることがいっぱいあって、そこまでできるわけがない」という声(心の声も)が、休憩時間や飲み会の席で聞こえてきます。
時間をかけて、会議での決定は何だったのでしょうか。
こうした状況を「二空気支配方式(議場・飲み屋・二重方式)」(山本七平)と呼ぶそうです。山本七平氏は、「それは現在の日本社会のいたるところでも日常的に見られるものなのであり、他の国では見られない日本独特なものだ」とも言っています。
このような空気を読むというか、空気・雰囲気に支配される日本では、前述のような「話しても分かってもらえない」状況が生まれるのは当然かもしれません。空気・雰囲気というのは、ある意味では表層・上っ面でしかありません。表面を取り繕えばいい(建前)というのが、基本になります。
ですから、その場をしのぐこと、現状にピリオドを打てればいいのです。その結果として、結局、「話しても分かってもらえない」となるのです。
では、どうしたらこうした問題を打開できるのでしょうか。
今、流行のコミュニケーション力や言語活動を高めればよいのでしょうか。
それらは、大きな可能性をもっていることは確かです。ただ、その質が問題です。多くの場合、ただ話し合えばいい、話し合う時間さえ取ればいいといった誤解をしていることがあります。つまり、話し合って意見をまとめれば、コミュニケーション能力は高まったとされていることに問題があると考えます。
本当に身に付けるべきスキルは、世界に通用する、あるいは世代間のギャップ等を乗り越えられるような「グローバル・コミュニケーション能力」なのです。そのためには、話しただけでは理解しがたい内容について、互いに追究しながら議論を戦わせるような場をつくっていかなければならないと考えます。
グローバル・コミュニケーション能力は、簡単に身に付くスキルではありません。子どもの時から日常的に訓練しなければならないと考えています。私は次のようなやりとりを授業や日常会話の中に取り入れて、話しただけでは分かりきることができない事柄を理解するような仕掛けをしています。
1 自分なりの根拠をもって発言すること。(自己理解)
2 自分なりであることを自覚し、友だちの意見との相違を考える。(傾聴する)
3 発言内容や意見は、多面的に見ても納得できるかを評価基準とする。(メタ認知)
4 質問や反論は、客観的であり、別の根拠を提示できるか。(追究)
5 どのクラスや学年でも通用すると言い切れるか。(一般化)
6 友だちの意見のいいところや新しさを理解しようとしているか。(他者理解)
こうした試みは、ある意味でこれまでのスキルや落としどころをひっくり返すものでもあります。しかし、まだまだ発展途上である子どもたちのパラダイムを変え、リフレーミングの在り方を教えることで、自分の殻を破るきっかけになるのではないかと考えています。
形だけのまとめや結論を出すことよりも、互いのよさを掘り下げ合うようなコミュニケーションスキルを身に付ける方が大切ではないでしょうか。
そうすることで、人間として、日本人として、多様で難しい未来を生きていくことができると考えています。
私は、「グローバル・コミュニケーション能力」を身に付けるという視点ももって、日々の教育実践を行うように心がけています。

大谷 雅昭(おおたに まさあき)
群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭
子どもと子どもたち、つまり個と集団を相乗効果で育てる独自の「まるごと教育」を進化させると共に、「教育の高速化運動」を推進しています。子ども自身が成長を実感し、自ら伸びていく様子もつれづれに綴っていきます。
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