2014.05.09
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教育現場からのリポートNO.3 「発達障害のある子どもたちの心の奥底にあるもの」

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 前回はA君を例に、発達障害のある子どもたちが、周囲から理解されにくい側面をもっていることをお伝えしました。そして、理解してもらえないという不安感から、イライラを募らせたり、頑な言動をとったりすることによって、周囲の人たちとの間に溝ができてしまい、悪循環に陥るのではないかという話もしました。今回はA君の心の奥底にあるものを考察し、よりよい関係を作っていくための手がかりを探ってみたいと思います。

 

 みなさんは、「どうせ誰も自分を理解してくれない」と思ったことはありませんか。前回も書いたように、A君は「誰も自分をわかってくれない」といった言葉を何度も私にぶつけてきました。「自分のことを誰も理解してくれないのではないか」とか、「自分の感覚は他人と違うのではないか」という不安感を子どもたちがもつということは、とても悲しいことです。それは生きるエネルギーにも大きな影響を与えるのではないかと懸念されます。私たち大人は、子どもの心の奥底にそういった不安感が潜んでいるかもしれないということを意識しながら、子どもたちとかかわっていかなければなりません。

 

発達障害の話からは逸れますが、A君の気持ちをよりわかりやすくするために、私自身の例をお話ししたいと思います。私は更年期になってから「冷えのぼせ」という症状に悩まされてきました。急に寒いと感じることがあれば、頭に手を当てると髪の毛がポカポカするほど暑くなってしまうこともあります。幼い頃からの経験の積み重ねによって、走り回ったり暑い部屋に入ったりすれば暑く感じると思い込んでいるのですから、不意に寒くなったり暑く感じたりするのにはかなり戸惑いました。数年経った今でも、その感覚に慣れることができずにいます。

 同世代の教師が少ない職場にあって、私が上着を脱いだり着たりする姿は、若手には異様に映っているようです。私は暖房の効いた職員室の中でもうちわであおがなければ耐えられなくなることもあるので、そのようなときには自分の状況を説明します。しかし、多くの若手には理解されません。なぜ急に暑くなるのかを理解することは、経験のない者には不可能に近いのです。こういったことが、発達障害のある子どもたちの中に起きているとイメージすることで、私たちは彼らの心に近づくことができるのかもしれません。 

 

 さて、A君が、「誰もぼくのことをわかってくれない」と言ったときに、私は「わかろうと努力するよ。約束する。でも100%は無理かもしれない」という話をしました。「きっと君のお母さんも、君を理解しようと努力してくれていると思うよ」とも伝えました。このような会話は、幾度となく繰り返されました。

 A君の困難さの中で最も理解しがたかったのは、A君が水泳前のシャワーを痛くて浴びることができないということでした。夏場の学校で行われる水泳指導において、シャワーを怖がってプールに入りたがらないA君を理解できた大人は、皆無であっただろうと思います。教師が「泳ぎが苦手だから言い訳をしているに違いない」という見方をしても、一方的に責めることはできません。でも、彼は本当に痛かったのだろうと思うのです。それを理解しようと思わない限り、彼との関係を改善することは困難なように思われました。

 

 もう一人、B君の例を挙げてみたいと思います。B君は1年以上もの間、不登校の状態にありました。勉強が嫌で教室を飛び出すことを繰り返すうちに、学校にも行くことができなくなったと聞きました。私が彼と出会って勉強を始めたとき、彼が知的な面で大きな困難さを抱えているとは感じませんでした。ところがしばらくすると、私が授業中に話をした内容を、理解できていないのではないかということがわかってきました。耳からの情報が届きにくいタイプの子どものようでした。

 私はそのことに気付いてから、黒板に文字や図表を多く提示するようにしました。一日のスケジュールもわかりやすく書いておきました。あるときB君がポツリと言いました。「前の学年では、先生が何を言っていたのか、ほとんどわからなかった。」

 自慢にもなりませんが、私は英語をほとんど話せません。聞くことも苦手です。簡単な表現でゆっくり話しかけられれば理解できますが、英語で話される授業では、周囲の人が笑うときに合わせて笑ってごまかすようなこともありました。きっとB君も、同じような苦労をしてきたのだと察することができました。

 

 A君にせよB君にせよ、心の中には、「どうも他の人たちと異なる感覚があるようだけど、わかってもらえない」といった不安感があるように思います。集団の中で疎外感を覚え、孤独になってしまっているのです。でも、それを言葉で説明することができません。例え説明できたとしても、理解しようとする大人がいなければ、説明することも諦めてしまうのです。不安感を感じている子どもたちを、よく観察してみると、彼らの困っていることは、特別な事柄ではないということがわかってきます。

 

 私たちは、満開の桜を見るときに、周囲の人たちと同様の感動を覚えていると感じます。それが一体感となって、さらに深い感情がこみ上げてくることさえあります。

 しかし、感覚そのものが、みな完全に一致していることはありません。それは、すべての場合において言えることです。人は異なる存在なのです。私たちは、同じような感覚をもっているかもしれませんが、異なる感覚をもっている場合もあるのです。私たちが感じにくい湿度の変化にさえ、耐えられないと思う子どももいるのです。

 その違いを否定するのではなく、わかり合おうという姿勢をもってほしいと思います。大人が手本を見せれば、子どもたちは必ず見習います。わかり合おうとする環境を作ることで、誰もが安心して生活できるようになるのです。学校や社会は、誰にとっても優しい環境にならなければならないと思います。 

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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