2014.04.23
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教育現場からのリポートNO.2 「理解されにくい発達障害」

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 前回、発達障害のイメージをふたつ描いてみました。ひとつは、身体を車に置き換えて、その車を運転しているのが自我というイメージで表してみました。発達障害のある子どもたちは、車(身体)に思ってもいないような不具合を抱えていると考えればわかりやすいのではないかという提案です。家庭や学校、あるいは社会において、運転技術やメンテナンスの方法を学ぶことができれば、生きにくさを多少なりとも改善していけるのではないでしょうか。

 ふたつ目は、おきあがりこぼしのイメージです。感情のコントロールを上手に行い、バランスをとって生きていくことは難しいことです。いかにしてバランスをとっていけばいいのかを学ぶことによって、人とのかかわり方に折り合いをつけていけるのではないでしょうか。

 この二つのイメージは、発達障害の有無に関わらず、実のところ誰にでも当てはまることです。発達障害と診断される子どもたちの多くは、運転技術をより詳しく学ばねばならないのかもしれませんし、メンテナンスの方法を熟知していないといけないのかもしれません。感情のバランスを取るために、自分なりのコツを身につける必要があるのかもしれません。

 

 2011年にNHKで「チャレンジド」というドラマが放映されたことをご存知の方も多いでしょう。目の不自由な教師が、仲間の助けを借りながら奮闘するという内容でした。障害のある方を「チャレンジド」と呼ぼうとする考えが、このドラマを通して、多くの視聴者に伝わったことと思います。

 Challenged(チャレンジド)というのは「障害を持つ人」を表す新しい米語「the challenged (挑戦という使命や課題、挑戦するチャンスや資格を与えられた人)」を語源としているそうです。社会福祉法人プロップ・ステーションが1995年から提唱している呼称です。

 より高度な運転技術を要求される発達障害のある子どもたちは、まさにチャレンジドであると、私は思っています。私たち教師は、そういった子どもたちのニーズに応じた教育ができるように、誠心誠意かかわっていかなければなりません。

 

 さて、「チャレンジド」のようなポジティブな捉え方がある一方で、教育の現場である学校では、発達障害のある子どもたちとかかわるにあたって、まだまだ大きな困難さを抱えています。ひとつには、教師の理解が不十分であるという点です。もちろんここ20年近くの間に、一人一人の子どもたちの個性を見極め、個性を生かした教育を行おうとする多くの施策は、現場に浸透してきました。熱心に学びを深め、子どもたちの心に寄り添おうとする教師の数も格段に増加していると実感しています。

 しかし、発達障害の見極めに終始し、それを否定的に捉えてしまう教師がいないとは言い切れません。また、大きな困難さを抱える子どもの心に寄り添うには、教師側の十分に配慮された言葉かけや、教育技術の向上が必要となります。それらの課題を克服していくためには、すべての教師がさらに研鑽を積み重ねていくことと、ベテランの教師がノウハウやスキルを若手に伝えていくことの二点を、同時に進めていかねばならないと考えています。

 問題点の二つ目は、発達障害への理解を、保護者や地域の方々にも促していく必要があるということです。この点は、教師の研修よりもさらに高い壁であると感じます。なぜなら、発達障害は見えにくいからです。大変失礼な例を挙げれば、車いすで生活されている方がどのような苦労をされているかについては、多くの方が理解しようとすることができます。けがをした経験などから、歩けないことへの共感と思いやりが生まれるからです。

 しかし、例えば知的な能力が高く、言葉の使い方に問題の感じられない子どもが、なぜ集団活動に参加できないのかを理解するのは大人にとっても大変困難なことです。

 

 A君の例を挙げてご説明しましょう。

 彼は1~2年生のころ、たまに保健室で見かけることがありました。机の下に隠れて出てこないことがある、と養護教諭から聞いたことがあります。それからごくたまに、授業中に教室の前を通ると廊下にたたずんでいることもありました。授業中に廊下にいることは好ましくないと思ったのですが、気分を落ち着けるために必要なのだという説明が担任からありました。

 また、休み時間になると、「家に帰る」と叫んでいることがありました。私が理由を尋ねると、「誰も自分を理解してくれない」と言っていました。それでも数分間、話を聞いてやると、教室に戻ることができました。

 A君が3年生に進級し、クラス替えがあり担任も代わると、A君の様子はもっと深刻なものになりました。嫌なことがあると校舎の外にも逃げてしまうようになったのです。たいていは校庭から出ることはなかったのですが、もし遠くに逃げ出すことがあれば命の危険を伴います。そのため、学校内でも専門委員会を開き、対応を考えていくことにしました。担任や学年の教師の対応だけでは、不十分であると思われる場合には、全校の組織を使って対応方法を話し合うことになっているためです。そのとき、担任を外れていた私は、専門的に彼とかかわることになりました。

 彼とかかわってみてわかったことは、知的な能力がとても高いということでした。例えば、算数の教科書を読めば、自分で内容を理解し、ノートにまとめることができました。国語でも、自分の考えを3年生とは思えないような大人びた表現を使って伝えてきました。あるとき1000ピースのパズルを二人で楽しんだときがあったのですが、なんの変哲もないひとつのピースを見ると、それがどこに当てはまるのかを一瞬で見極めることができました。私にはとても真似のできることではないと、驚いたのを覚えています。

 この例はとても典型的なものだと言えます。A君のように知的な能力が高い場合には、彼の抱えている困難さを理解することが非常に難しくなるのです。周りの大人に対して、自分は理解されないという思いがA君の中でどんどん大きくなり、そのイライラから問題行動が引き起こされていってしまっています。これはまさに悪循環です。

 

 例えばA君のような子どもを担任すると、教師は何かしらの負担を背負わされると思ってしまいます。40人近くの子どもたちを一斉に指導しなければならない現状にあって、小さなことで気分を苛立たせ、教室から逃げてしまう子どもがいるとすれば、その対応に追われてしまうからです。教師の気持ちも、理解できないわけではありません。

 しかし、A君の視点から考えれば、困っているのはA君本人なのです。子どもは、勉強をしたくないから逃げ出しているわけではありません。クラスメイトと同じように、勉強をしたり活動をしたりしたいと思っているのです。それができないことへの苛立ち、理解されないことへの苛立ちが積み重なっていくのです。

 小学校は今、一人の担任がクラスの子どもたちの全責任を負うような、従来のような仕組みでは成り立たなくなっています。多くの教師が情報を共有し、子どもたち一人一人の心を理解していく必要があります。それに加えて、保護者にも理解を求めていかねばなりません。

 次回は、発達段階のある子どもたちの心の中には、どのようなことが起きているのかについて考察してみたいと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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