新年度が始まりました。今年度の教育つれづれ日誌では、教育の現場にいて感じていることや考えていることを、若い先生たちのみならず、たくさんの方々に知ってほしいと願い、「教育現場からのレポート」という形で投稿させていただくことにしました。
私はかねてより、長年の教員生活の間に体得したことを、若手教師のみならず保護者のみなさんにも伝えていかねばならないと思ってきました。また、教育書の内容を現場の実態と照らし合わせ、よりわかりやすくお伝えすることも、私の務めだと考えてきました。そのような思いから、有用な内容をわかりやすくご提供できるようがんばっていこうと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今回のシリーズのはじめの一歩として、発達障害を取り上げます。この背景は、前回の投稿でご紹介していますので、ぜひお読みください。
発達障害という表現は、平成17年4月1日から施行された「発達障害者支援法」の定義に基づいて使用しています。「障害」という表現が必ずしも適しているとは考えていませんが、より多くのみなさんが使っている表現を用いることによって、誤解を招かないよう努力していくつもりですので、ご理解をお願いいたします。
では、発達障害とは、一体どのようなことを表すのでしょうか。「発達障害者支援法」によると、「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」としています。
それぞれの発達障害については、専門書のみならず、インターネット等でも簡単に調べることができますので詳述は避けますが、主にこだわりが強い、友達との関係を作りにくい、出し抜けに発言をしてしまう、じっとして席についていることができないなどの課題を抱えています。そのため、子どもたちが学校生活や日常生活を送る上で、何らかの不自由さを抱えているという状態を表すと捉えていいでしょう。
しかし、発達障害の症状による分類については、あまりこだわる必要性がないと考えています。私たち教師は研修を通して発達障害について学んでいるものの、現場で明確な判断ができるのかというと、そういうわけではありません。ひとつには、診断そのものは医師によるものであり、教師には「おそらくはそうかもしれない」という程度の判断しかできないという縛りがあるからです。
また、多くの子どもたちとかかわってきた経験から申しますと、このような分類は便宜的なものであって、発達障害のある子どもたちが、必ずしも定義通りの課題を抱えているというわけではないからです。子どもたちは一人一人異なる個性をもっていますから、課題も百人百様ですし、それは発達障害のある子どもたちに限定されるものでもありません。
ただ、発達障害という視点は、子ども自身の困っていることを見極める上で、とても重要であると思っています。早期に見極めて早期に対応すれば、その子への教育的な効果はより大きなものとなるからです。しかし、保護者の方からすれば、「うちの子どもは、他の子どもと違うのではないか」という不安を抱えることにもなりかねませんし、例え発達障害と言われるような課題を抱えていたとしても、それを受け入れるまでには相応の時間がかかるものです。とてもデリケートな視点であることは、言うまでもありません。そのことを十分に理解した上で、子どもや保護者の方とかかわっていかねばならないということを、いつも心にとめておくべきだと思います。
前置きが長くなりましたが、発達障害をどのようなイメージで捉えたらいいのかについて、二つの例をお示しします。
ひとつは、肉体を車だとすると、それを運転しているのが自我であるというイメージです。自分が上手に運転をしようと思っても、どこかに故障を抱えていれば、事故を起こしやすくなります。また、運転が未熟なために、トラブルを抱えてしまうかもしれないのです。
言い換えれば、私たちは人生を通して運転方法も上達させなければなりませんし、もし故障があったとしたら、それを調整しながら運転しなければならないということなのです。
また、車の排気量が大きい車であればスピードも出るでしょうし、重い荷物を搭載しても大丈夫でしょう。しかし、小さな車であれば、小回りはきいても、高速道路で飛ばすことには向いていません。そういった違いが個性だと考えれば、さらにイメージがもちやすいと思います。
そして、運転の技能を高めるように、多少の故障は自分でメンテナンスをしたり、癖を見極めて運転できるコツを覚えたりする、そのような場が学校だと考えると、納得される方も多いのではないでしょうか。
もうひとつは、おきあがりこぼしのイメージです。みなさんは、おきあがりこぼしをご存知でしょうか。民芸品としても知られていますが、赤ちゃんのおもちゃとしても目にした方がいらっしゃると思います。
人は常に真っすぐに立ち、優等生のように振舞うばかりとは言えません。ときには泣くし、落ち込むし、こだわりをもつこともあるし、ネガティブな表現をすることがあるものです。そういうときに、どのように気持ちを立て直し、周囲と折り合いをつけていくかということが、人とかかわって生活していく上ではとても大切なこととなります。私たちはおきあがりこぼしのように、ときには揺れながらもバランスをとって生活をしているのです。
ところが、誰でもバランスを崩し、数時間とか数日間に渡って落ち込みから回復できないこともあります。疲労や体調不良の際には、イライラを相手にぶつけてしまうことがあるでしょう。バランスをとることは、簡単なときもあるし、難しいときもあるのです。
発達障害のある子どもたちは、バランスをとることが困難なのかもしれません。それは、本人や保護者の育て方のせいではなく、もって生まれた肉体に何らかの不具合を抱えていることが原因であるかもしれないのです。
では、このように学校生活や日常生活を送る上で、あるいは人とかかわる上で、何らかの困難さをもっている子どもたちに対して、どのように教育を行っていくことがより効果的なのでしょうか。今後、具体的な例を通して、みなさんと考えていきたいと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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