2月3日は節分でした。節分とは本来、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に、1年に4回あったものでした。ところが、日本では立春は1年のはじまりとして、とくに尊ばれたため、次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったそうです。
立春を1年のはじまりである新年と考えれば、節分は大晦日にあたります。平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺」の行事が行われていました。室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し、民間にも定着していき、それが現在の豆まきになったようです。
その豆まきですが、これは中国の習俗が伝わったものとされています。豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っていて、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。
ところで、鬼=邪という図式だけでなく、鬼=福という解釈をするところもあります。「鬼」という文字を氏名や地名に頂く人たちにとっては、鬼こそ自分たちの守り神、という考え方なのです。
私の勤務地の群馬県藤岡市鬼石では、「鬼恋節分祭」というのがありますが、同様の発想から始められたものです。「福は内、鬼も内」というかけ声をかけます。同じようなかけ声をかける節分は、埼玉県嵐山町の鬼鎮神社や東京都新宿区の稲荷鬼王神社でも行われています。岐阜県瑞浪市の鬼岩福鬼まつりでは、ひたすら「鬼は内」のかけ声をかけて、豆をまくそうです。
さて、藤岡市鬼石の「鬼恋節分祭」について、もう少し詳しく説明しましょう。鬼という字が地名に入っていることから「鬼は福」である、という考えで1992(平成4)年から始められた節分行事です。毎年2月3日に町のお祭り広場で開催され、今年で22回目を迎えました。
全国各地で追い出された鬼を迎え入れるといった感じで、「福は内、鬼も内」のかけ声で「鬼呼び豆まき」が行われます。ステージイベントや鬼とのジャンケン大会のほか、とっちゃなげ汁、甘酒のサービスもあります。多くの露天も出ます。
「鬼とジャンケン大会」は、逃げてきた鬼に優しくしようという祭りのコンセプトに沿って、ジャンケンで鬼に負けた人だけが賞品のお菓子をもらえるというルールになっています。
一見、いい感じのお祭りなのですが、実は数年前の様子は次のようなものでした。
ちょっとゆるキャラっぽい鬼を見つけた鬼石の子どもたちは、大はしゃぎをし始めます。鬼の周りを奇声を上げながら、グルグルと駆け回ります。それだけなら、いいのですがやがて鬼を蹴る、殴る、頭を取ろうとするなど、無抵抗の鬼にやりたい放題だったそうです。鬼の方も、こんな目に合うくらいなら素直に豆をぶつけられてた方がましではないかとつぶやく人もいたそうです。
そんなうわさを聞いていたので、今年はこの目で確かめようと、「鬼恋節分祭」に出かけていきました。今年は月曜日でしたが、子どもたちはもちろん町の人たちもたくさん集まっていました。例のゆるキャラっぽい鬼が、10体近くもウロウロしていました。
子どもたちの様子はというと、座り込んでとっちゃなげ汁を食べたり、露天で買ったものを見せびらかしながら持ち歩ったりしていました。ジャンケン大会になると列に並んだり、プレゼント豆まきになると両手を挙げて呼んだりと、いい感じです。鬼に対してもなでたり、写真を撮ったりしている程度です。
私は本校に2年近く勤務していますが、子どもたちの様子は明らかに変化してきています。全体に穏やかになり、やるべき事がやれるようになってきているのです。そうしたことが、こうした校外でも見られるようになったことは嬉しいことです。
昔から夏祭りに燃える地域で、いろいろと難しさもあります。地域の伝統をうまく受け継ぎ、これからを生きる子どもたちを育てたいと強く思いました。
是非、みなさん、来年の「鬼恋節分祭」に来てみてください。
大谷 雅昭(おおたに まさあき)
群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭
子どもと子どもたち、つまり個と集団を相乗効果で育てる独自の「まるごと教育」を進化させると共に、「教育の高速化運動」を推進しています。子ども自身が成長を実感し、自ら伸びていく様子もつれづれに綴っていきます。
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