かつて、KY(空気が読めない)という言葉が流行したことがあります。空気に文字が書いてあるわけではないのに、それを「読めない」と表現するのは、日本語のおもしろいところだなと思います。
ところで、子どもたちの中にも、「空気が読めない」と思わせる姿があります。子ども同士で、「おい、空気を読めよ!」という指摘をしているところをみると、「空気を読む」という意味を知っている子どもたちもいるのでしょう。彼らは、どういう言動を「空気を読む」と表現するのかについて、経験の中から獲得しているのだろうと思います。
では、「空気が読めない」とは、具体的にどのような言動を表すのでしょう。「今、そういう発言は好ましくない」とか、「優先されることは、もっと違ったことなのに」と思わせるような言動など、いろいろな場面がイメージされると思います。
もっと具体的な例を学校生活の中から拾ってみると、子どもたちの一部には、朝の会をしている最中に宿題を提出するために歩き始めたり、教師が話している途中でも質問をしてしまったりする姿が見られます。
そういった行動をとっている本人は、「いけない、宿題を出すのを忘れた」と思って、叱られる前に提出しようとするのでしょうが、逆に「今は、座っているときですよ」と指摘されてしまいます。また、出し抜けに質問や発言をすれば、周囲の子どもたちから指摘を受けることもあります。
このように、空気が読めない言動によって、クラス全体の活動が中断してしまうことが度重なると、その子どもの評価はとても下がってしまいます。そして、友達ができないとか、クラスになじみにくいといった問題が発生してしまいます。
それでは、子どもたちに空気を読めるようになってもらうには、どのように働きかけていけばいいのでしょうか。
ひとつは、思いつきで行動してしまったり、発言してしまったりする子どもたちの座席を前の方にしておき、教師が場に不似合いな言動をすぐに制していくようにすることが有効です。私は、最初のうちには声で伝えますが、そのうちに仕草や視線でも伝えることができるような関係を作っています。子どもとの呼吸が合ってくると、私のちょっとした仕草でも、「これは、今やるべきときではない」と気づいてくれるようになるものです。
それから、「空気を読もうね」というような、抽象的な表現をしないように心がけています。「大きな声を出さなくても聞こえるから、もう少し小さな声で言おうね」とか、「今は宿題を出す時間ではありません。先生の話が終わったら、出すように言いますね」というように、具体的に話します。そして、制するだけではなく、どのようにしたら好ましいのかを伝えます。
もうひとつは、子どもたちの特徴を生かす場面を作ることです。例えば、出し抜けに意見を言う子どもたちは、見方を変えればいい考えを思いつくことが多いのです。彼らの考えを生かすことができるように、創造的な意見を指名されてから発表できたときには、思い切りほめるようにしています。ほめることによって自信をつけさせ、手順を覚えさせていくようにしているのです。
また、大きな声を出してしまいがちな子どもには、クラス全体に何かを伝えたいときに、活躍してもらうようにしています。そうすれば、大声は全体に伝えるときにこそふさわしいという学びが積み重なるようになります。
弱みと思われがちなところを、強みとして生かすには、大人の支援が必要です。「空気が読めない」と責める前に、改善できるようになるための手だてをとっていけたらいいと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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