2012.03.22
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おわりに

北海道札幌養護学校 教諭 青木 一真

 特別支援教育という言葉も僕の感覚の中では、随分と浸透した物だなあと感じますが実際はどうなんでしょうか。中に浸かってしまっては、見えなくなってしまっていることもあるのではないかと、ふと思います。

 北海道大学の田中康雄先生は、よく「発達障がいブーム」というような言葉を使っておられました。ブームにはいつか終わりが来ます。6年ほど前には知的発達に遅れのない自閉症圏のお子さんやLD等にスポットライトが当たり理解啓発のための研修会が多く行われ、書店にも発達障がい関連の書籍が日を追うごとに増えて行きました。「指導上の困難さを持つこの子は発達障がいではなかろうか」というような相談が特別支援学校に多く寄せられ、指導上のアドバイスを求められました。校内研修会の講師依頼も数多くありましたが、障がい理解から具体的対応へきれいにステップを踏んでニーズが移り変わっていったのを覚えています。学生時代から特別支援教育について学んだ学生が新任として採用され、経験年数を積んだ現場の先生方も学習を深めていらっしゃいます。先生方が手当たり次第に受けていたのだろうと思われた土日の研修会の会場も、現在では中身を選んで皆さん参加されるようで、どこに行っても満員ということは少なくなったかに思えます。確かに、理解から具体的対応や高度な実践へと現場のニーズも移ったように見えます。ブームは終わりに向かっているのでしょうか。

 さて、通常学級に在籍する6%という指導上の困難さを抱える児童生徒の数は今回行われる新たな調査でどのように移り変わるのでしょうか。理解が進み具体的な指導方法の改善が行われているとするのならば、指導上の困難さは現場のノウハウの蓄積により改善されている事でしょう。しかし、いわゆる「発達障がい」のお子さんの認知度が上がり、診断を持つ=指導上の困難さを持つという括りで捉えられるなら、6%という数字は過去の低い物になっているのかも知れません。

 先日のニュースで幼い姉弟が育児放棄により餓死した事件が何度も取り上げられました。心を強くえぐられるような悲しみも、ひと月も経たないうちに新しい悲しいニュースに覆われてしまう気がします。虐待を受ける子ども達の数も、虐待に対する認知度の高まりの影響も大きいかも知れませんが確実に右肩上がりのグラフを描いています。
 貧困の問題も横たわります。僕の住む北海道は就学援助に関する要保護児童生徒数が全国で2番目に多い土地です。(東京都よりも小中学校の全児童生徒数が30万人少ないのですが、要保護児童生徒数は東京都より2千人ほど多いのです。)貧困は虐待と隣り合わせの問題ですし、教育の機会も経済力の分だけ余裕のある家庭に比べ不利な状況におかれるリスクがつきまといます。経済状況の不安定さとリンクしてかこちらも数として上昇の傾向があります。

 個性や個人の自由が社会的に大きく認められた代わりに、無縁社会というような呼び名で表される現在の状況。地域社会での教育力の低下。核家族化で義理の父母との煩わしい人間関係から解放された代わりに孤立化していく子育て。現在の社会的な経済状況。先の見えない閉塞感。確実に世の中が衰退していく雰囲気の中で大人達も余裕が無くなっているように見えます。

 学校教育に求められている物も社会のありようによって変わってきています。教育で求められる物が、その子にとって困難な物であったなら。本人の努力だけで解決できない問題があったなら。

 特別支援教育は、障がいのある児童生徒を対象としていますが、「診断がないから支援しない。」というものではありません。
 平成19年の文科省による通知の中に特別支援教育の理念として「特別支援教育は、これまでの特殊教育の対象の障害だけでなく、知的な遅れのない発達障害も含めて、特別な支援を必要とする幼児児童生徒が在籍する全ての学校において実施されるものである。
さらに、特別支援教育は、障害のある幼児児童生徒への教育にとどまらず、障害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ様々な人々が生き生きと活躍できる共生社会の形成の基礎となるものであり、我が国の現在及び将来の社会にとって重要な意味を持っている。」とあります。
 様々な背景により、教育の場での難しさを抱えた子ども達が数多くいます。その子の生まれ持つ特性から来る物なのか、育ちの環境に由来する物なのか、学校側の指導の至らなさから来る物なのか。明確な線引きが難しい場合も多く、相互が絡まり合っていることも多くあります。配慮が必要な子ども達全てに、理由の如何を問わず手を伸ばせるなら、その子の豊かな人生に教育は手を貸してあげられるでしょう。

 単なる地方の一教員の僕にできる事は多くありません。僕の手の届く範囲で手を伸ばし、その子の思い、そして周囲に思いをめぐらせ、限られた時間の中で一緒に歩んでいけるようでありたいと思っています。とても個性的な二人の息子の父でもある僕は、子育てに喜びと悩みを抱えています。他の保護者の方と同じように。少しでも、この子の幸せにつながるものを与えたいという願いは、目の前の子ども達に重なるものでもあります。

 今年度いっぱい、こちらのコーナーで原稿を書かせて頂きました。「僕なんかが」「僕でも」「僕だから」という思いの中で。
 書く度に自分の底の浅さ、至らなさを知ることができました。新たな自分の学びへの力を得られた事は大きかったです。たくさんの方に読んで頂いている事を知り、みなさんには感謝いたしております。いつかどこかでもう少し成長した姿でお会いできるかも知れません。本当にありがとうございました。 

 さて、新年度からは、こちらのコーナーに職員室で僕の目の前に座っている、優秀な先生が登場することになると思います。きっと僕とは違った切り口で特別支援教育への示唆を与えてくれる物と期待しています。一読者として大変楽しみです。皆さんも期待して待っていて下さいね。 

青木 一真(あおき かずま)

北海道札幌養護学校 教諭
前任校では特別支援教育コーディネーターを3年間務めさせていただきました。昨年度、異動と共に久しぶりの学級担任に戻り右往左往。良い教育を迷いつつ模索する日々です。

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