1月はあっという間に行ってしまいました。2月も本当にあっという間に逃げていってしまいそうです…。
さて,この「2月」という時期。私が今担任している5年生にとっては,「6年生から最高学年のバトンを引き継ぐ」という意識と意欲を醸成し,そのリーダー論を少しずつ教えていく上で,大変重要な時期だと考えています。1月ではまだ実感が伴わず,かといって3月では遅いからです。この機を逃すことなく,子ども達のリーダーに成長するための心と技を,しっかりと高めていきたいものです。
4.教師の思いや指導方針の発信
さて,この時期に限らず,「教師の思いや指導方針を伝える」ツールの一つとして,学級通信も利用したいと常々考えています。ただ,こうした内容を発信する場合,伝える「内容」「方法」「タイミング」「頻度」等については,かなり配慮が必要であると自覚しています。せっかくよかれと思って書いた通信が,重たすぎたり,角が立ったり,鼻についたりするようでは逆効果になるからです。しかし,かく言う私も,上手く伝えられているかと言われれば,甚だ自信がありませんが…。(豆腐に例えるところの,「やわらかさ・面白さ」と「四角さ」との比重,バランスがとても難しいのです…。)
兎にも角にも,今回は「家庭も巻き込んで,子ども達をリーダーに押し上げていこう!」という教師の思いを反映させた拙い通信例をご紹介。
実例7.一を聞いて十動く ~高学年の動きの鉄則~
「一を聞いて十動く」
昔,昔…。私が以前勤めていた学校での,3月のある日の話。
その日は,卒業式準備のため,5年生,先生方全員で大忙し。そんな中,体育館玄関にたくさんのゴミを発見!
「Kくん,ほうきをもってきてくれる?」(私)
「はい,分かりました。」大きな返事をしたKくん。普段から大変真面目で実直な少年。(曲がったことが大嫌い。廊下を歩くのも常に真っ直ぐ!?)
さて,私の指示を聞いたKくんは,体育館の清掃道具入れまで一目散。数十秒後,全速力で帰ってきて,大きな声で私に言った言葉。
「先生,ほうきはありませんでした。」(Kくん)
(ガクッと倒れそうになる私…)
確かにKくんは,私の言った「ほうきをもってきてくれる?」という指令を忠実に遂行しようとしました。通常責めるに値しません。おそらくみんなの大半も同様の行動をとることでしょう。
しかし,「一を聞いて十動く」観点から考えてみるとどうでしょう? Kくんは「一」を聞いて「一」をやり遂げることができたのでしょうか? 無論,できていませんよね。したがって,私は二つ目の指令
「じゃ,他の清掃道具入れを見てきてくれる?」
と言わねばなりません。そして,そこでもほうきが見つからなかった場合,おそらく再度同じ指令(三つ目)を 出さねばならないでしょう。よしんば二つ目の指令でほうきを調達してきたとしても,おそらくKくんに対して,
「ほうきでここをはいてくれる?」
と,またまた指令を出さねばならないでしょう。こんな,「十」を聞いてやっとこさ「一」動くようなことを君たち70人が繰り返していては,本当に倒れてしまいます…。
「一を聞いて十動く」とは…,「ほうきをもってきてくれる?」という「一」を聞いたら,
(一)ほうきを調達し,
(二)ちりとりまでも調達し,
(三)自らゴミをはいて取り,
(四)自ら汚れていたその他の場所もはき,
(五)周囲を見渡して次の仕事を探し,
(六)人手の不足しているトイレ清掃を手伝い,
(七)…
(八)…
(九)…
(十)…
ということなんです。このような動きを身につけた人は,本当に必要なとき以外は,
「先生,次は何をすればいいですか?」
とは聞いてきません。極端な話,もし一人一人が「一」を聞いて「十」動けたのなら,70人で七百の仕事力になるんです。君たち5年生にも,このような動きを,是非身につけてほしい。
6年生から最高学年のバトンを引き継ぐ瞬間の迫る5年生に,昨日,教室で話した内容です。
来週は,「6年生を送る会」があります。いよいよ,学校全体に関わる大仕事第一弾です。学校全体のリーダーとしてのデビュー戦です。子ども達がどんな動きで準備や片付け,会の運営を行うのか,今から楽しみです。ワクワクしています。ドキドキしています。
と言っても,まあ初めてのことです。「一」を聞いて「十」とはいかないまでも,三~四くらいは動いて,見事初陣を飾ってほしいと願っているところです。さあ,子ども達にとって どのようなデビュー戦となるのでしょうか。その様子は,是非お子さんまで。
余談ですが,こうした学校全体に関わる行事の準備・片付けの活動の前に,
「みんなががんばって準備すれば,15時には終わって,早く帰れるよ。」
と,子ども達に語る教師の言葉を,何度か耳にしたことがあります。
「どうなんだろう…?」と思います。「15時」という時間を,作業の見通しやがんばりの目安として伝えようとする意図は分かります。しかし,こうした活動において,時間はあくまで「がんばりの結果」であり,「がんばるための目的」になってはならないと思うのです。まして,目の前ににんじんをぶら下げるような指導では,その場はしのげても,次の保障はありません。
入門期(低学年の頃)ならまだしも,シールをもらうためにノートまとめをがんばる,先生に怒られないために宿題をする…など,このような落とし穴は学校生活の至る所に存在しています。
「何のためにやるのか」「何のために努力するのか」。高学年のこの時期,こうした価値の転換を図っていくことも,さらなる成長を遂げるために必要なこと…と,今日も子ども達に語ります 。

西村 健吾(にしむら けんご)
米子市立福米東小学校 教諭
「豆腐のような通信を!(1.マメで 2.四角く 3.やわらかく 4.面白く)」をモットーに、学級経営に果たす通信の役割を見直し、日夜創意工夫に励んでいます。一つの実践提供になれば…。
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