2012.02.09
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評価の時期に

北海道札幌養護学校 教諭 青木 一真

   前回は春に向けてなどと書いたものの、まだまだ冬真っ盛り。こちらでは「さっぽろ雪祭り」の真っ最中。この週末にはスノーボードの大きなジャンプ大会があり、雪祭りも含めて家族で楽しんでこようかと計画しています。ただ、インフルエンザもはやっている様子。あちこちで流行しているようですので、皆さんにおかれましては、お大事にどうぞ。

 さて、この時期は前期後期の2期制で評価をおこなっている本校では評価の時期です。まだ一月以上を残して1年を締めくくってしまうのは何かまだ早いような気もしますが、僕も提出を終えて今は管理職の決済を待っている状況です。
 特別支援学校の通知票は学校によって多少様式に差はありますが、各領域教科の目標に対する達成状況を文章で記述する形が多いかと思います。また、個別の指導計画の評価を兼ねるところも多いかと思います。

 今回は「評価の在り方」についての私見をとも思ったのですが、僕の口から中途半端にもっともらしいことをいうのも恥ずかしいので「思い出」を少し書こうかと思います。

 評価にまつわる一番の思い出として残っているのは、「毎日通知票を書こう」という学部の方針の中で働いていた時です。要は「その日学習で行った事に関する毎時間の評価を通知票と同じように記入し保護者に還元しよう」という事をしていました。当時は3学期制をとっていましたので、もちろん通知票は学期毎に出していました。その他に学校での様子を家庭に知らせる連絡ノートを各時間毎の成長を記入する「通知票」のように活用しようということです。理想としては素晴らしかったのですが現実としては負担感しか残らない物でした。職員の中には子どもたちに毎日成長を求めるような言動も見られました。「昨日よりもできていないあなたはどういうことか。」ということでの叱責は、他の問題も感じられましたが、なにか「ノートに評価が書けないではないか」ということで叱責されているように感じてしまいました。思い過ごしなら良いのですが。
 ほぼ全員が寄宿舎生でノートは毎日家庭には持ち帰ることはなく、記入する時間はたっぷりあったのですが、放課後に2~3時間かけて記入しその後に掃除や片付け、授業の準備をするという流れはなかなか続けられる物ではありませんでした。忙しくて毎回毎回、全部は読めなかったという保護者もいらっしゃいました。

 他にも学期毎の通知票の他に個別の指導計画の評価を同時期に作成していた時のことです。学校で行った指導に関しての評価であるのでどちらも同じような内容になるのではないかという疑問を担当に尋ねたところ、「通知票は子どもの成長を保護者が喜べるように、喜べる内容を記載し、個別の指導計画の評価は非開示であり、何ができないかと言うことや保護者に見せられないような情報も記載する」というような回答。大変強い違和感を覚えました。

 両方とも楽しい思い出ではありませんし、かなり極端な話だと思います。しかし、職場内の議論を経て僕の感じる範囲の丁度良い形に落ち着きました。ただ、評価の時期になるとふっと思い出します。
 

 同じ状況は今ではなかなか見られない事だと思います。ただ、妥当な評価のサイクル(形成的評価の積み重ねと情報が埋もれないような還元の仕方)、子供の育ちを正しく喜び合える関係づくりという事に関しては、自分にとって良い学びだったのかなと思います。

 さて、子ども達の評価は僕自身の指導の振り返りでもありました。僕が僕自身に付けた評価は「まだまだ力不足。」これから自分自身の目標を絞り込む作業が残っています。できていないことはたくさんありますから。   

いきつもどりつ、らせんのように、しかし少しは上に向かって。

青木 一真(あおき かずま)

北海道札幌養護学校 教諭
前任校では特別支援教育コーディネーターを3年間務めさせていただきました。昨年度、異動と共に久しぶりの学級担任に戻り右往左往。良い教育を迷いつつ模索する日々です。

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