みなさんは、「理想的な学校教育」という言葉から、どのようなイメージをもたれるでしょうか。
「今よりもましな学校」とか、「もっと楽しい授業」とか、「子どもたちが伸び伸びと過ごせる環境」など、一人一人の思いは様々であると思います。
そこで、私が「理想的な学校教育」をどのように捉えているのか、改めて考えてみることにしました。
まず、学校が「安全で、安心して過ごせる場所である」ということが前提になります。
登下校のための通学路の安全が守られていること、学校という建物が快適であること、子どもたちが不安なく遊ぶことができる校庭があることなどを意味します。
このように書いていくと、今回の震災で、学校があるべき姿の最低基準でさえ満たされないところがあることに、胸を締め付けられるような思いです。
教育つれづれ日誌を書いていらっしゃる、埼玉県深谷市立桜ヶ丘小学校の鈴木邦明先生が、奇しくも私の故郷福島市の写真を掲載されていました。
普段と変わらない、青い空と山々が広がる福島市。
その見慣れた故郷の景色は変わらないのに、そこに放射能の不安に脅かされる子どもたちがいる現実を、受け止めきれません。
一刻も早く、安心して過ごすことのできる環境に、戻してほしいと願います。
さて、その安全・安心な場であることを前提として、「学校とは、すべての子どもたちのニーズに応えられる教育を提供する場である」と考えています。
すべての子どもたちが、毎日学校に楽しく通うことができる場であり、また明日も学校に来て勉強したいと思う場であることが、最も大事だと思っているのです。
そして、そのためには、友達がいること、友達と遊ぶことが楽しいと思えることが重要です。
その上で、勉強が楽しい、新しいことを知ることに喜びを感じる、自分で調べてみたいといった学習が成り立っていくのだと思います。
また、学校生活においては、給食や掃除などの仕事をやる必要がありますし、高学年になれば委員会活動や、大きな行事での仕事も回ってきます。
それらを、責任をもってやりとげることができる子どもたちを育てることができる場でもあるのです。
言い方を変えると、「人とのかかわりが上手にできるようになる場」、「社会性を身につけることができる場」、「自分から学ぶことができ、学力を身につけることができる場」であるのだと思います。
それらのことが、楽しく、喜びをもってできることが、理想的な学校教育と言えるのではないでしょうか。
さて、思いつくままに書いてみましたが、以上のようなことを実現していくのは、そう簡単なことではありません。
友達関係を築くことに困難さを感じている子どもたちもいますし、コミュニケーションにも難しさを感じている子どもたちもいます。
登校する元気がなくなってしまいがちな子どもたちもいますし、感情のコントロールに苦労している子どもたちもいるのです。
そんな困難さを感じる子どもたちに対して、教師は適切な対応ができなければなりません。
さらに、周囲の子どもたちが、思いやりをもって生活できるように指導していく力量も必要とされるのです。
理想と思う学校の姿を描き、それに向かって教職員の集団が力を合わせていくような学校が、今後ますます求められると思います。
私たち中堅の世代が若手を育成し、お互いに学び合いながら、子どもたちにとってよりよい学校を作っていきたいと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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