私は福島市の出身です。大学卒業後に東京で就職し、住み着いてしまいました。
震災後、母が亡くなったので、家という形は残っているものの、帰る場所はなくなってしまいました。
自宅の窓からビルの立ち並ぶ様子や、四角に切り取られた空を見る度に、遠くふるさとの景色を思い出します。
実家の窓から見ると、遠くには吾妻連峰が屏風のようにそびえ立ち、左に視線を動かせば安達太良山を確認することができました。昼には真っ青な空、夜には真っ暗な空がありました。そして、夏の天気のいい日には、吾妻山の山頂に降るような星空がありました。
街を横切るように阿武隈川が流れ、豊かな水がきらきらと光を反射しています。冬になると、その阿武隈川には白鳥が訪れます。私が小学校の頃、初めて渡来したときには、餌をやるために多くの人が協力しました。
市内には花の美しい公園が点在しています。特産品のも数多く、梨や桃は私の最も身近な食べ物でした。フルーツラインに沿って桃畑が広がり、夏にはたくさんの観光客が訪れていました。
そんな福島が、見えない怪物のごとき放射能で覆われ、多くの仲間が大変な生活を強いられていることを、悔しく思います。
子どもたちが、不安の中での生活を余儀なくされていることに、涙がこぼれます。
ところで、福島には「ほんとの空」があります。それは、高村光太郎の「智恵子抄」の一節に由来します。
「本当の空」とはニュアンスが違った「ほんとの空」
どこまでも広がる青い空や、豊かな自然を想像するにあまりある「ほんとの空」は、地元の人々にとっては、ごく当たり前の表現であると思います。
世界中の人々と共に、一日も早い事故の収束と、被災地の復興を心より願っています。
きっと光太郎も知恵も、「ほんとの空」が戻ってくるのを、楽しみにしているに違いありません。
「あどけない話」
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
昭和3年5月 高村光太郎 「智恵子抄」より

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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