3泊3日で気仙沼へ
9月23日金曜日、24日土曜日、25日日曜日の三日間、被災地のボランティアに行ってきました。宮城県気仙沼市。その中でも、今までなかなかボランティアの手が行き届きづらかった小さな港で活動しました。気仙沼にある唐桑半島。その東海岸に位置している鮪立(しびたち)という地域でのボランティアでした。
活動した内容は、がれきやどろまみれになった家財の撤去でした。気仙沼では、がれき等の撤去がすでに8割を超えていますがまだまだボランティアの支援は必要でした。どろまみれになったブロック、木材、家電、金属、ビニール・プラスチック、その他もろもろの品を仕分けしてトラックに乗せ、仮置き場まで搬送します。全国から集まったいくつもの団体の見ず知らずの人たちと力を合わせ、微力ではありましたが活動させていただきました。
原動力は「学校応援プロジェクト」の執筆
きっかけとなったのは、私の住んでいる栃木県上三川町の広報誌に載っていた記事でした。特に次の文章が目に留まりました。「東日本大震災は、阪神淡路大震災の10倍以上のエリアが被災しているといわれていますが、ボランティアの数が絶対的に不足しています。(町広報誌の文章を引用)」これは行かなければという気持ちになり、思い切って参加したわけです。
またその原動力となったのは、学びの場の「東日本大震災 学校応援プロジェクト」で応援メッセージを執筆したことです。自分なりに悩んで考え、真剣にメッセージを書いたつもりだったのですが、どうも「言葉だけの応援」というのは何か違うんじゃないかとジレンマを感じていたところだったのです。何かしたい。いやしなければという思いが原動力になりました。
ボランティアで得たものの大きさ
ボランティアを終え帰宅した翌日、勤務校に出勤した際「幸せ」を感じました。当たり前かもしれませんが、ちゃんと存在する学校、元気に遊ぶ子供たち。それらのことは何と幸せなのだろうと思ったのです。毎日をごく普通に生活できることの幸せに感謝しなくてはいけないと思いました。
こんな気持ちになれたのもボランティアさせていただいたおかげです。そしてそのボランティアの活動を支えていたのが若者たちでした。若者たちのパワーと人との出会いのすばらしさ。ボランティアで得られたものはとてつもなく大きかった。このことについては次回詳しく書きたいと思います。

鷺嶋 優一(さぎしま ゆういち)
栃木県河内郡上三川町立明治小学校 教諭
この春、勤務校が変わりました。異動したての新鮮な気持ちをダイレクトにつづりたいと思います。そして「ICTと幸せ」についても小学校教育の視点から考えます。
同じテーマの執筆者
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)
「教育エッセイ」の最新記事
