運動会・・・その学校らしさを(その2)ニューデリー日本人学校の巻
小学校の運動会には必ず「踊り」「ダンス」的なものがあるが、私が平成17年度から3年間勤務したニューデリー日本人学校(名前の通りもちろんインドの首都ニューデリーにある)では、全校児童でインディアンダンスを踊った。
全校児童と書いたが、正確にはニューデリー日本人学校は小学部と中学部、そして付属幼稚園が併設されているため、全幼児・児童・生徒、というのが正しい。さらに、教職員も加わる。
さてそのインディアンダンス。私は渡印するまで知らなかったが、インドは世界の中でもたいそうダンスの盛んな国とのこと。インド映画にはダンスは必ずつきものだし、MTVのような番組を見ていても必ず激しいダンスがバックにいたように思う。もちろんそれらは現代のダンスだ。
日本人学校で踊っていたのは、現代風のエッセンスも入っていたのかも知れないが、伝統的なインディアンダンスをアレンジしたものだ。
赴任した平成17年は、確か「カタックダンス」(カタック地方のダンス)というものであった。竹製のスティックを用いて男女一組がペアとなって踊った。バックの曲はその年に大ヒットしたインド映画「カルホナホ」の主題歌で、今でも懐かしく私は車の中で聴いている。家内は家事をしながら聴いている。
その年は同期で赴任された女性の先生がインディアンダンスを担当した。彼女は、
「インドに来たくて来たくてたまらなかった」(日本人学校は世界中にあるため、赴任先はどこになるかわからない・・・)
という女性で、たいへんエネルギッシュであった。そして運動会用のインディアンダンスの研究のために週末はデリー市内のホールへ、長期休業を利用してインド国内を隈無く旅行してダンス研究に勤しんだすごい教師であった。
研究に研究を重ね、彼女は11月下旬(ようやく北海道の夏くらいの暑さまで涼しくなる)の「ニューデリー日本人学校大運動会」に向けてダンスを創りあげた。創りあげて、それを生徒たちに教えるのが大仕事。私は赴任一年目の肉体派教師として、気づいたらダンス担当になっていた。ダンスは大の苦手であったが、逃げられなかった。放課後の特訓はけっこう大変だったが、今では良い思い出だ。
小さな幼稚園児から、思春期で羞恥心も出始める高学年や中学部の生徒たちにもがんばってもらい、当日は拍手喝采を浴びた。日本人学校大運動会といいながら、ニューデリーの日本人会との共催であるので、結構な数が集う。
踊りも注目であるが、なんといっても保護者の喜び?!は、グラウンドいっぱいに広がるインドのダンス衣装で着飾った子どもたちの華やかさである。特に女子は華やかなデザインの、インド衣装(サリーとは違うが)とおでこに貼るビンディーでとても可愛らしい。腕や足首にはバングルというキラキラした輪も。
平成19年にはなんと、ダンス担当の彼女はまたしても新しいインディアンダンスを取り入れて創作した。今度は同じインディアンダンスでも「ダンディヤダンス」である。どこからそのエネルギーが湧いてくるのか、と思ったが本当にすごかった。教職員も生徒といっしょに踊るが、彼女の踊りはやはり誰よりも目立っていた。
インドで出会った先生方は彼女に限らず皆それぞれにエネルギッシュで、お互いが刺激し合えるような方ばかりだった。
伝え聞くところによると、帰国して日本の小学校に戻り、インディアンダンスを全校児童に指導して運動会で披露した、という先生もいる。
日本人学校ならではのインディアンダンス。インターネットで検索すると、色々とヒットするのでご覧いただければ幸いです。
(写真左と真ん中は インディアンダンス衣装の生徒、右は当時の我が家のバスタブと末息子)

久慈 学(くじ まなぶ)
厚沢部町立厚沢部小学校 教頭
北海道で小学校教員、今年は教頭職三年目。ニューデリー日本人学校での経験を生かし、片田舎から世界を、世界から片田舎を見つめつつ発信したいと思います。
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