ここ札幌も一日中半袖で過ごせる気温となり、1学期も残りわずかとなりました。日がたつのは早いものです。僕にとっての1年は人生における1/40。担当している子どもたちにとっては人生の1/10の時間です。僕にとっては子どもたちの1/4程度にしか時間の経過を感じられないかもなどと思いつつ、僕の4倍の重みをもつ一日一日に対して「いったい何ができたのかなあ」と自問してみたりもします。
さて、この原稿がUPされる日に本校では今年度初めての交流学習が行われます。年間3回程度の貴重な機会です。地域学習として居住地にある小学校等での交流も行われているのですが希望制ということもあり実際行っているのはごく少数です。今回の交流学習は自己紹介のあと一緒にゲームをする互いの学習で行ってきた歌などを発表するといった内容。以前勤めていた学校でもそれぞれ同じような内容であったと記憶しています。
過去にこんな事がありました。
交流相手校では、養護学校児童一人に付き「お世話」の児童一人を設定する形をとっていました。しっかり手を引いて片時も離れず側にいてくれる子どもたちに「立派だなあ」と感心もしたのですが表情が硬いのも気になりました。自由に一緒に校内で遊ぶという時間もあり、小学校内をそれぞれ連れていってくれました。少し様子が気になる子がおり、離れて付いて行くと養護学校の児童は放っておいて友達何人かと別の遊びをしていました。こちらの存在に気づくと慌てて「さあ、○○くん、あっちも行ってみようか」と、また手を引いて移動していきました。「ああ、そうなんだろうなあ」と。しっかりと「お世話」をするように担任の先生から言われ大人の前ではそうしていても、彼自身はそこに楽しみを見いだせなかったのでしょうね。すぐ近くにある学校といえど、会うのは年間1~2回。めったに会わない人と仲良くうち解けることは苦手な人も多いでしょう。交流に関しては回数を増やそうという案もありましたが消極的な意見も多く立ち消えになりました。回数を行う事のメリットもあると思います。しかし僕自身もただ回数だけの問題では無いように感じていました。
地域的にも障がいを持つ人を隠すような閉鎖的な風潮があり、担当していたお子さんは休日の家族での買い物も車の中で待っていたり、どうしても連れて行かなければいけない時は、早朝か閉店間際の人の少ない時を選んで店内に入っていったそうです。
校外学習で当時担当していた低学年の車いすのお子さんを押して町を歩いていた時も、優しそうなおじさんから「かわいそうだねぇ。いやあ涙が出るねぇ。」と声をかけて頂きました。その場を早く立ち去りたく作り笑顔と共に足を早めました。知的には全く遅れはないお子さんです。しかし「かわいそう」で「涙が出る」と言っていたことは気にしていないようでした。おじさんに悪意があったとは思えません。しかし、その様子を見ていた同僚からは「無理解」に対する怒りの声もありました。
僕は学生時代、宅配業者の仕分けアルバイトをしていました。ある日「使ってみてくれ」と所長さんが一人の男性を連れてきました。見た目にはさほどわからないのですが、軽度の知的障害を持たれていたように見えました。他の方ならなんなく取り組めることも社員の方からの指示が良くわからずになかなか行動に移せずにいました。「ずいぶん変なのを連れてきた」「天然だな」「ちょっと使えないな」といつもは気の良い社員のおじさん達からは否定的な言葉が多く出ました。僕は現場ではバイトながら先輩でしたので、具体的に伝えたり、やって見せてから同じようにできる仕事をお願いしてみました。社員達が言うほど何もできないわけではなく、少し伝え方を工夫すれば一緒に働けるなと感じました。しかし2日ほどで姿を見せなくなりました。所長に聞くと「ああ、もういいんだ。」とのことでした。もし、「障がい者」という事で仕事現場に紹介される人がきたら、どういう反応だっただろうとたびたび思い出します。
同じく学生時代、小学校教師を目指す部活の友人から「俺は障がい者が嫌いだ」との発言を聞きました。まあ、飲んでいる最中の話ですが、「あいつらは自分の権利ばかり主張し努力をしない」というような論旨だったでしょうか。「良く相手ができるな」と。正直、カチンとはきましたが、まず、自分が相手をしているのは発達に遅れがあり自分の気持ちも上手に表現できない子どもたちだと言うことと、努力ではどうしてもカバーできないことがあること、でも良い人悪い人色々いるよね等と話した記憶があります。
僕が「無理解」に対し、強く怒りを覚えないのは僕も「無理解」であったからでしょう。小学生の時、後に特学に移ることになる級友の事をバカにするようなことを言ったり、近所の自閉症の子のエコラリア(反響言語~言われたことをオウム返しにする)をおもしろがって色々言わせてみたり。後々にその罪の意識が僕自身を苦しめることになるのですが。
その分「わかれば変わる」という事に期待したいのです。
気づけば昔話に終始してしまいました。次回も昔話を。コーディネーター時代に交流学習の事前として中学生相手に授業をさせてもらえることになり、そのお話しを書かせて頂きます。
青木 一真(あおき かずま)
北海道札幌養護学校 教諭
前任校では特別支援教育コーディネーターを3年間務めさせていただきました。昨年度、異動と共に久しぶりの学級担任に戻り右往左往。良い教育を迷いつつ模索する日々です。
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