6月29日~7月1日に、群馬県高崎市の榛名地区において、移動教室が行われました。
昭和61年に、榛名町と東久留米市が姉妹都市提携を行ったという歴史があり、今も交流が続いています。現在は榛名町が高崎市と合併したため、姉妹都市提携は解消されています。
さて、今回の移動教室では、主に8つのイベントや見学を行いました。榛名への移動教室を行っている学校は少ないと思われるので、簡単に行程をご紹介します。
初日は、高崎市にある「かみつけの里博物館」で勾玉作りに挑戦し、古墳見学を行いました。昼食後、榛名湖周辺でハイキング、夜はキャンプファイヤーで盛り上がりました。
二日目は、ネイチャースクールで虫や植物などと触れ合った後、昼食に焼きそば作りをしました。そして、午後は榛名湖でカッターボートに乗りました。夜は、子供たちが最も楽しみにしていたナイトウォークでした。男女ペアで手をつなぎ、夜の真っ暗な林の中を、10分間ほど歩きました。
三日目は宿舎を後にし、富岡市にある「群馬県立自然史博物館」と、「富岡製糸場」を見学しました。
榛名での移動教室は、私にとっても初めての経験でしたが、豊かな自然の中でさまざまな体験や学習を行わせることができ、充実した三日間となりました。
この移動教室の中で、子供たちの心に残ったのは、カッターボートだったようです。移動教室の作文の中で、たくさんの子供たちが、カッターボートのことにふれていました。
カッターボートは、公園などにある二人乗りのボートを大きくしたようなものですが、櫂が左右に5本ずつあり、一本の櫂を3人がかりで漕ぎます。ですから、おおむね30人で漕げるようにできています。
子供たちの作文から、その時の様子を感じてください。
『カッターボートは、三人ずつが力を合わせて櫂をこぎます。
指導者の方が、「櫂、用意!」と声をかけたら櫂を後ろ側にそろえて、「始め!」の声でこぎ始めます。
数え方は、1~10は「一枚、二枚・・・」と数え、11からは数字を唱えます。
50回を何回か練習したところで、「次は100回いこう。普通は50回しかやらせないのだけど、みんなは上手だから100回に挑戦させてあげるね」と言われました。
私は、50回ですら腕が痛くなったから不安でしたが、頑張って100回をやりとげることができました』
『私がこのカッターボートを体験して思ったことはふたつあります。ひとつは「協力」。みんなで協力すれば、大変なことでもやりとげられるということです。
ふたつ目は「仲」。このカッターボートで協力しあい、みんなでひとつの船を動かしたことで、クラスの仲が深まったんじゃないかなと思いました』
『カッターボートは初めてだったので、タイミングをつかむことが難しかったけど、繰り返し練習をしているうちに、だんだんわかってきました。
50回も、100回も続けていると手が疲れたけど、そんなことを忘れるくらい楽しかったです。
ぼくは、知らない人たちと漕いでいたら、絶対にこんなに面白くはなかったと思います。仲間と一緒だったからこそ、こんなにも心に残ったのだと思います』
ところで、移動教室を通して成長したのは、子供たちばかりではありませんでした。私たち引率をした教職員の関係もさらに良好になり、協力する力が増したように思います。
私は、5年生から彼らを担任していますが、隣のクラスの担任は4月に移動してきた若手の男性です。彼は6年生の担任も移動教室の引率も初めてということだったので、4月当初は不安もありましたが、この3カ月を一緒に指導してきたことによって、お互いの信頼関係も深まってきました。
今では、ふたつのクラスを二人の担任が指導していることが、子供たちにも浸透しているように思います。
高学年は思春期に差しかかり、子供たちにとっては男性と女性の担任と関わることが重要になってきているように感じます。
卒業までの8カ月余り、教員も力を合わせて指導していきたいと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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