今回は雑記事を一つ。僕には息子が二人います。6才と2才。かわいい盛りです。読んで頂いている子育ての先輩方を前にして大変恥ずかしいのですが、僕のつたない経験について少し書かせていただきます。
子どもを育てるにあたり、できる限りの時間を作り子育てに参加しようと決めていました。できそうなことは全てしました。風呂入れ、おむつ交換、授乳(もちろん哺乳瓶で)や離乳食づくり等々。自分の仕事にも生かしました。原始反射の確認を始め、各種発達検査の被験者として仕事のための練習台になってもらいました。クイズと称し検査をかける僕に息子から「こんなのクイズじゃない。」と怒られたこともあります。(ごめんね。)
また、独学で勉強を続けていた応用行動分析(ABA~行動主義心理学の一種です。)を子育てにも応用しようと思い、書籍の読みかじりのまま我が子に当てはめて対応していました。応用行動分析の中心となる考え方として「望ましくない行動は無視し、良い行動は褒めることで伸ばし増やすことで望ましくない行動から置き換えていく」というものがあります。(褒めて伸ばす子育て。一般的にも良く言われている内容ですよね。)
当時3才の我が子は思いと違う状況に対したときパニックのような状態になることが度々ありました。双方の実家等でそのような状態になることもありました。家庭 内では少し待ってあげるような状況はありました。でも祖父母の無言の視線に耐えられず妻は優しい口調で話しかけたり強い口調で泣くのをやめるように言い聞かせたりと何か「親としての行動をしていますよ」と言うアピールをしないわけにはいかなかったのだと理解しています。ここで僕の妻を支える行動も足りないですよね。(反省)その後妻と対応について話し、はっきりと共通の方策をとろうと言うことになりました。そこで前述した応用行動分析の考え方をベースにすることにしました。
さて、ここで僕たちの起こした失敗がわかりますか?泣いている息子に字義通りの「無視」を二人でしたのです。息子の泣き方が違う物に変わりました。愛着者から関係を遮断されるという恐怖の泣き声でした。すぐに反省し改めました。泣く以外に不安を表現する方法がない息子に、代替行動を教えず、またそもそもの不安状況の解消にアプローチをすることなく「関係の遮断としての無視」をしたのです。なんと愚かな事をしたのでしょう。
幸い、現在息子は朗らかに成長を続けています。できたことはその場で確実に褒めることは続けています。取り違えていた「無視」の意味も「注目しすぎない」という様に翻訳して理解しています。
「親としての年齢」という言葉を一昨年、どこかの研修会で聞きました。親としての経験は6年。僕も親年齢は6才なんです。つまずくこともあるかも知れません。我が子に育てられながら親としても成長していければと思っています。
青木 一真(あおき かずま)
北海道札幌養護学校 教諭
前任校では特別支援教育コーディネーターを3年間務めさせていただきました。昨年度、異動と共に久しぶりの学級担任に戻り右往左往。良い教育を迷いつつ模索する日々です。
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