2011.06.29
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運動会・・・その学校らしさを(その1)

厚沢部町立厚沢部小学校 教頭 久慈 学

  

運動会・・・その学校らしさを(その1) 

 本校の運動会が6月5日、日曜日に無事終わった。都会では運動会は土曜日開催が増えているという噂であるが、実際のところはどうなのだろう。

 また、天気もなんとかもちこたえて開催できた。こちらは日本全国共通なのかどうか知りたいところだが、運動会の天気は「校長の責任?!」皆様の地域ではいかがであろう? さすがに面と向かって言う保護者は少ないが(それでもいるということに変りない)、運動会が雨で延期にでもなろうものなら

「いやあ、今年の校長は雨校長だべや」

なんて、そばで聞いているのが辛くなる。

 天気のことにまで責任を負わなくてはいけないなんて、これは本当にかわいそうな職業である。と書きつつも、そうやって遠慮無く校長先生に冗談交じり(の口調ではない方もいるが)で、やりあえるのがこの檜山地方の良さでもある。

 

 さて、この小学校の運動会。その学校ごとに実に特色豊かでおもしろい。

 私が最初に勤務したのは純漁村ともいえる全100戸ほどの小さな地域。もちろんおらが村のおらが学校である。弱冠22歳初任の私は老漁師の家の2階の一部屋を借りて住んでいた。その漁家の先祖は、学校開校のために莫大な資金を寄付した、という家でもある(ばっちゃんは「うちのじいさんが建てた」と言っていた)。明治学制発布後の話である。

 その学校(以下S校)は全校児童が当時20数名。1・2年、3・4年、5・6年の複式学級である。職員は担任3人に、校長教頭、その年の児童数によって養護教諭と事務官がいるかいないか。僻地の多い北海道では少なくない形式である。

 S校の運動会の特徴はなんといっても、「おらが村の運動会」。学校だけではなく、地域の季節保育所、お年寄り、中学生、高校生とにかく全員参加である。運動会の商品購入のために全戸から寄付金を集めて運営するので、学校の考えだけですすめる運動会とはならない。

 けっして広いとは言えないグラウンドには、本物の大漁旗がところ狭しとはためき、地域の方が皆笑顔で集う。数日前からの天気見では、気象予報士顔負け(というよりも地元の天気予測に関してはそれ以上)の漁師さん方が予想する。漁師さんにとっての天気見は仕事であると同時に、自分たちの生命を守る鍵ともなる。およそはずれるわけにはいかない。

 

 さて肝心の種目である。もう十数年も前なのにはっきり覚えているのは「背なわ巻リレー」。

スケソウダラ漁に使う延縄(はえなわ)を樽に巻きつけ、そして解きほぐす、を順に繰り返すリレーである。スケソウダラ漁は寒風吹きすさぶ冬の日本海上で行われる厳しい漁である。その漁に使う背なわを競技に取り入れるのだ。

 われわれ教員もそのリレーに加わるが、遅い上に縄がこんがらがって大変なことになり、失笑を買う。そして、漁師の出番。いわゆる「目にも留まらぬ」という形容詞が陳腐に思えるほどの素晴らしいなわ捌きが始まる。本当にもの凄い勢いで何十メートルもある背なわが、あっと言う間に樽に巻きつけられるのだ。

 漁師町なので見慣れている光景かも知れないが、それでも地域一番の漁師が登場して巻き始めると拍手喝采である。

 

 そんな父親たちの姿を誇らしく見つめる子ども達であったが、跡継ぎとして漁師となったものは多くはなかった。私の教え子でも知る限りでは一人か二人、、、。

 今年のS校は全校児童が4,5人になってしまったようだ。

 地域の衰退は学校の衰退でもある。人数は少なくとも活気あふれるあの運動会が、そして背なわ巻リレーがいつまでも続いてほしいと願う。

(写真は今年の厚沢部小学校の写真、本文とは関係ありません。)  

久慈 学(くじ まなぶ)

厚沢部町立厚沢部小学校 教頭
北海道で小学校教員、今年は教頭職三年目。ニューデリー日本人学校での経験を生かし、片田舎から世界を、世界から片田舎を見つめつつ発信したいと思います。

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