2011.06.28
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テレビ・新聞に紹介されることで

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長 野村 泰介

昨年11月に「空襲ガレキ発掘作業」という記事を投稿させていただきました。今回はその続編です。

 

1945年(昭和20年)6月29日午前2時37分から午前4時7分にかけて、岡山市街地はアメリカ軍B29による焼夷弾空襲を受けました。この空襲により市街地の約7割が消失し、1700名以上の人命が失われています。

 

「6.29」にちなみ、昨年発掘したガレキに加え、今回新たに発掘したもの約50点を一般公開することにしました。校門入り口のところに教室の机を6脚ならべ、簡単な説明書と共にガレキを並べました。できるだけ多くの方に見てもらいたいので、今回の展示概要を新聞社・テレビ局に告知しました。すると・・・

 

展示初日の朝のこと・・・

「野村先生、応接室にテレビ局の方が来られています。」

 

告知の結果が出たなぁ・・どこの局が来てくださったのだろう? と応接室のドアを開けると驚いたことが起きました。4台のテレビカメラと取材記者が、掘り出した生徒のコメントと共に「空襲ガレキ展」の撮影にやってきたのです。

 

事前に生徒たちには、メディアの取材があるかもしれないと伝えてありましたが、まさかこのように多くの方が来られるとは思ってもみませんでした。広報の仕事をして6年目ですが、一度にこれだけ多数の局の対応は初めて。局ごとに不公平にならないよう、共通コメントと撮影場所を確保し、なんとか混乱なく対応することができました。時間をずらして新聞社が4社取材に来られました。結局、展示初日は夕方まで取材対応に追われていました。多くのカメラや記者に囲まれた生徒たち、最初は緊張の連続でしたが、すぐに慣れて、自分たちの活動を話すことができていました。

 

翌日からテレビや新聞を見て知った方々が次々と山陽女子高校にやってきました。多くは、地元の方です。中でも空襲を体験された方は「あの晩は今から思い出しても地獄じゃった・・」「こういうレンガの建物がこのあたり一面にあってなぁ・・」と当時のお話をしてくださいました。実はこのことを期待していたのです!

 

今回、メディアに紹介していただいた狙いは、地元の方に見てもらい、戦争を知らない世代に語ってもらうことです。戦争が終わって66年が経過した今、体験者は高齢化し、若い世代にそれらを伝える機会が減ってきました。そのような今だからこそ、地元の体験者の方に地元で発掘された戦争遺物を前に、語っていただきたかったのです。生徒たちは、自分たちが掘ったものが話のタネですから、ガレキを前に体験者の方の話を真剣に聞き入ります。

 

戦争を語り継ぐ教育。ちょっとした一工夫でとても有意義なものになったと実感できた実践でした。

野村 泰介(のむら たいすけ)

学校法人山陽学園 山陽女子中学・高等学校広報室長
今年創立125年の女子校の広報を担当しています。岡山市内唯一の女子校として、その特色をアピールできればと思います。

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