今回は以前の経験から、子供にとって順序やルールがどのように獲得していくのか、またそれがどのような意味をもつのかについて、考えてみたいと思います。
ずいぶん前に、私は2年生を担任しました。その中にA君という、とても活発で愛らしい男の子がいました。
彼は登校してくるなり職員室を訪れて、「荒畑先生いますか?」と大声で叫ぶような子供でした。そして、いつも裸足で学校中を走り回っていました。常に裸足なので足の裏は真っ黒。でも、平気で私によじ登ったり抱っこしたりしていました。もう一人の友達と一緒に、私の膝の上で給食を食べました。私がトイレに行くのでさえ、忍び足でついてきてしまうので、苦笑いをすることも度々でした。
また、身の回りの始末が苦手だったので、授業参観にいらしたご両親に叱られないように、片付けを手伝うことも多々ありました。
でも、彼の行動に嫌悪感をもったことはありませんし、彼の愛くるしい瞳や仕草は可愛くて仕方ありませんでした。
ただ、当時はその日のうちに洗濯できる衣類を身につけ、帰宅すると真っ先にシャワーを浴びていました。夕飯になると自分の子供にも、彼の様子を聞かせてやることが多く、家族と共に今でもA君を思い出します。
さて、高学年では専門の教員が教えることの多い音楽も、低学年では担任が教えます。私は、子供たちと一緒に歌ったり、鍵盤ハーモニカで演奏したりして楽しむことが好きでした、
鍵盤ハーモニカを教えるときには、「ド、レ、ミ」と弾かせるのに、「1、2、3」と歌ってやり、親指、人差し指、中指の順で弾いていくことを教えました。耳で聞いたことを身体で表現していく活動は、このような鍵盤ハーモニカの指導に限ったことではありませんが、順序をたどる活動はとても大切だと思っています。
A君は、受け持った頃から鍵盤ハーモニカの練習を楽しんでいたようですが、もっぱら人差し指でぎこちなく弾くのが常でした。つきっきりで教えても、指を順序よく使って弾くことはできませんでした
ところが、3学期に入ってから、A君には落ち着きが出てきました。それは生活全体から伺えたことでしたが、鍵盤ハーモニカを、5本の指を使って弾いている姿も見られたのです。子供に順序が入っていくことは、こんなにもすごいことなのかと実感しました。
このA君と接してわかったことは、子供には順序をたどる活動をさせることが大事だということです。朝起きてから寝るまで、規則正しい生活をさせていくことで、生活の中から順序が身体の中に組み込まれるからです。
ご飯を食べる、歯磨きをする、トイレに行ってから学校に向かう等々という生活の習慣は、学校生活の習慣へと結びついていきます。その規則正しい習慣によって、学習が支えられるのです。
算数の問題を解くといった、直接数字に関わる学習ばかりではなく、漢字の書き順だったり、本を読む順序だったりと、順序を追っていく学習がいかに多いかということに気付かされます。
そして、この順序を守るという習慣が、ひいてはルールの獲得へと結びついていくと考えます。時間を守る、遊び場所を守るといった何気ないルールが、順序の獲得が根底となって成り立っていると思うのです。
そうであるとすれば、生まれてから就学までの家庭生活における習慣化を、改めて見直すきっかけとなるのではないでしょうか。
ところで、ルールというのは、文章化されたものだけを指すのではありません。物事の善し悪しは、成長につれて自分自身で判断することが求められてきます。
今、6年生を担任し、毎日判断させることの難しさを味わっています。言っていいことと悪いことの区別、やっていいことと悪いことの判断。その線引きをいかに決めていくのか、子供たちの社会性や精神面での成長が問われるところです。
私は以前、「学校は人生に繋がる予備校である」と書きました。ですから学校では、成功ばかりではなく失敗からも多くのことを学んでいってほしいと願っています。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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