2011.03.09
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学校は「時代の最先端」であってほしい(その2)

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長 安居 長敏

前回に引き続き、「学校は《最先端》であるべきだ」ということで、私の考えの一端を書かせていただこうと思います。 
 
今日は「自由な場」「夢を語る場」、そして「正義が通用する場」といった点での具体的なイメージについてです。 
 
私自身、学校というところはある意味、純粋なままでいられる(それが保障されている)世界だと思っています。「努力すれば、必ず報われる」「一生懸命やることこそが何よりも大切」「感動して泣いたって、ちっとも恥ずかしくない」「自分をさらけ出し、堂々と主張できる」・・・。 
 
すでに50歳を超え、社会の厳しさや不条理さを嫌というほど味わってきたにもかかわらず、そんな純粋さや素直さを認めることが「当たり前にできる世界」が学校だと思っています。 
 
純粋で素直なことはステキなんだと言える場所、本音で生きていくことが何よりもいいとされる環境こそが学校の特権であり、そういった肯定感をとおして、子どもたちの精神的な「根っこ」が育っていくのだと思います。 
 
現実の社会に出ると、時には嘘をつくことも必要になってきます。純粋さだけではやっていけないことだって、たくさん見えてきます。裏切りやゴマすり、言葉の使い分け、本音と建て前・・・など、学校と同じように素直なままで生きていては、大きなマイナスになることだっていっぱいあります。 
 
悲しいかな、それが事実なんだし、それにある程度あわせていかないと、「あなたって、いつまでも子どもなんやねぇ~」といった誤解を生む原因にもなりかねません。 
 
しかし、私としては、そういう社会一般の通念を跳ね返してでも、人間として大切なこと、忘れてはならない生き方の指針・・・みたいなものを、学校で子どもたちと一緒にとことん考え、実践していきたいと思っています。 
 
そんな学校を、「時代の最先端」と呼べるのかどうかわかりません。むしろ、そんなの「時代遅れ」、今こそ社会の厳しさを教え、力強く生きていけるような強さを身につけさせるべきだという意見もあるでしょう。 
 
ですが、そういう強さ(=絶対に壊れないぞという頑丈さ)の前に、竹のようにしなやかで粘り強く、折れないココロを持つことこそ大事なのではないかと思います。 
 
特に、刹那的ですぐに損得勘定で考えたがる今の子どもたちを見ていると、そんな気がしてなりません。

安居 長敏(やすい ながとし)

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長
私立高校で20年間教員を務めた後、コミュニティFMを2局設立、同時にパソコンサポート事業を起業。再び学校現場に戻り、21世紀型教育のモデルとなる実践をダイナミックに推進中。

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