2011.03.22
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

この度の地震に寄せて

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 地震によって、多くの方の命が奪われ、甚大な被害があったことに対し、心からお見舞い申し上げると共に、一日も早い復興をお祈りいたします。

 さて、地震が起きた時、私の勤務する学校では卒業式の練習を行っていました。5年生の合奏に合わせて、6年生が退場の練習をしている時に、地震が起きました。体育館には、5年生60名全員と6年生の20名程度、職員6名がいたことになります。残りの6年生の約60名は、体育館の玄関にいました。

 地震が発生して間もなく、教員の一人が「地震です!」と叫びました。その後放送も入ったので、地震が来たことには気付いたのですが、「すぐに収まるだろう」とか、「弱い地震だろう」という考えが、私の頭をよぎっていました。ですから、最初は気楽に構えていたのです。

 ですが、地震は強くなってきました。若手教員の、「椅子にもぐれ!」という叫び声が響きました。子供たちは椅子を持ち込んで練習していたため、自分の座っていた椅子に頭をつっこむような形で、しゃがみ込みました。しばらくは子供たちの驚きの声が上がっていましたが、「放送の指示が聞こえなくなるから、静かに!」と叫んで静かにさせました。

 それからの数分間は、一時間にも二時間にも感じました。いつまでも収まらない地震、体育館の天井で揺れ続ける電灯。いかにしたら子供たちを助けられるのだろうと、様々な考えを巡らせました。そして、「この電灯が落ちてくるようなことがあれば、怪我をさせてしまう」という恐怖感が、私を襲いました。しかし、言葉は出ませんでした。

 誰か、助けに来てくれないだろうかとさえ思いました。体育館という、校舎から離れた場所にいることが、こんなにも孤独だと感じたことはありませんでした。

 地震の大きな揺れが収まった後、すぐに練習を切り上げて、子供たちを教室に戻しました。教室でも余震が続き、今度は教室の電灯の揺れを心配しなければなりませんでした。

 下校の準備をさせ、校庭に集まるように放送が入りました。それまで、全く情報がなかったので、地震がどこで起きているのかを知らなかったし、こんな大震災になるとは考えもしませんでした。学校長の指示に従い、余震の際の対応を指導して、教員全員が子供たちの家の傍まで送っていきました。

 東京のみならず全国各地の小学校では、様々な対応を行った上で下校させたようです。日頃の避難訓練を土台として、円滑な対応をしたという話を、夜になって多くの教員仲間から聞くことができました。

 うちの学校の対応が十分であったとは言い切れませんが、反省会を行い、今後の対応を確認し合えたことは大きな成果だったと思います。

 今後、早急に改善していかなければならないのは、保護者との通信方法です。個人情報保護の観点から、保護者の職場すら知らないという実態が、今の学校現場にはあります。地震直後はわずかながら携帯のメールも通じましたが、通話は不可能になり、直にメールも不通となりました。保護者との連絡手段が携帯のみという現状では、非常に不安があるということを痛感しました。

 さて、15日の火曜日になって、私は地震以来久しぶりに、子供たちと会いました。5年生の子供たちと共に、自分たちのできることを頑張っていこうと確認しました。

 計画停電によって、多少の不自由さはありますが、被災地の比ではありません。子供たちの笑顔を守るために、私も全力を尽くしていきたいと思っています。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

同じテーマの執筆者
  • 松井 恵子

    兵庫県公立小学校勤務

  • 松森 靖行

    大阪府公立小学校教諭

  • 鈴木 邦明

    帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師

  • 川村幸久

    大阪市立堀江小学校 主幹教諭
    (大阪教育大学大学院 教育学研究科 保健体育 修士課程 2年)

  • 髙橋 三郎

    福生市立福生第七小学校 ことばの教室 主任教諭 博士(教育学)公認心理師 臨床発達心理士

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop