「教育に強制はいらない」という話を以前に書きましたが、毎日の学校生活の中で、強制や管理という側面を最低限に抑えることは大事です。
子供たちには、自分自身で伸びていく力があるし、自己表現しようとする意欲があるからです。それを促し、支援していくことが、教員の仕事のひとつの役割であると思っています。
ただ、本当の意味での自由を尊重しあえるように育てることと、自由奔放・勝手放題にさせることとは違います。その違いを、教員が明確に線引きするのを忘れてはなりません。
さて、5年生との生活も残りわずかとなりました。担任してから、一年が過ぎようとしています。私に怒鳴られるようなネタをよくも毎日提供できるものだと、呆れた時期もありましたが、最近は一緒に笑うことが増えてきました。
力で抑えつけることを避け、じっくりと話して聞かせたり、自分たちで考えさせたりするような指導に徹してきた成果であると思います。また、彼らが表現しようとする力を、伸ばしてきた結果であるとも思っています。
このところ、クラスがひとつになって、みんなで心から笑いあう場面が続きました。その場面をご紹介します。
ひとつは、「震源地ゲーム」をやった時のことです。
午後になって、休憩時間中にも委員会活動などのさまざまな用事をこなしていた子供たちが、とても疲れているように見受けられました。それで、授業の後半の10分間を使って、リラックスしてはどうかと提案しました。
子供たちは自由に過ごすのではなく、みんなで遊びたいと言いました。そこで、「震源地ゲーム」を教えることにしました。
ご存知ない方のために、ゲームをご紹介します。
(1)みんなで円を作って、内側を向いて立ちます。(座っていてもかまいません)
(2)鬼にばれないように震源地になる人を決めます。鬼は、震源地を決める間、廊下に出てもらうといった工夫をします。
(3)震源地が決まったら鬼を呼び入れ、円の真ん中に立ってもらいます。
(4)みんなは震源地の動作を真似て、手を叩いたり、頭をかいたりします。震源地は、鬼の目を盗んで、上手に動作を変えていきます。
(5)鬼はみんなの動きを見て、誰が震源地かを当てます。
「震源地ゲーム」の経験者が少なかったせいもあり、大変盛り上がりました。隣のクラスに迷惑がかかるような大きな笑い声が上がっていました。
もうひとつは、プリントを配る私の動きに合わせて、子供たちがふざけた時のことです。
私は、プリントを配るときに、机の上でトントンと紙を揃えるのですが、その振動に合わせて、子供たちが椅子に座りながら身体を振動させ始めました。半数くらいの子供たちがふざけて身体を揺らし、周りの子供たちとともに大笑いをしました。
その日は配らなくてはならないプリントの枚数が多く、いつまでもふざけているので、私もフェイントをかけて応酬しました。私が一緒に遊んだことに、子供たちは満足そうでした。
しかし、ちょうどニュージーランドの大震災があった後だったので、そういう遊びは二度とやらないようにと言って聞かせました。それを聞いて、子供たちは申し訳なさそうな表情を見せていました。
子供たちは、ちょっとふざけすぎの時もあるし、それを担任として諫めなければならないこともあります。しかし、担任の前で萎縮することなく、自分自身をさらけ出すことができる関係は、素晴らしいと思っています。
これからも、自己表現できる環境を保ちつつ、子供たちなりの価値観を育てていけるように見守っていきたいと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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