2011.02.23
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学校は「時代の最先端」であってほしい(その1)

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長 安居 長敏

前回、この欄に「学校は《最先端》であるべきだ」ということで、「憧れの対象」「自由な場」「世の中をリードしていく存在」であり、「夢を語る場」「議論できる場」「実行できる場」、そして何よりも「正義が通用する場」でなくてはならないということを書きました。

時間がなくて項目の羅列だけになってしまい、「じゃあ、具体的に何なのよ」ということが述べられていませんでしたので、以後何回かに分けて、私の考えの一端を書かせていただこうと思います。

今日はその1回目。まずはイントロから・・・

今から40年以上も前のことになりますが、私が小学生だった頃、滋賀県の片田舎では、家にないものが学校にはたくさんありました。

大阪で万国博覧会が開かれたのが、ちょうど小学5年生の時。今でも鮮明に覚えているのが、理科室にあったSONY製のオープンリール・ビデオデッキです。オレンジ色があしらわれた筐体が、いかにも!って感じで、子供心に興味津々でした。

もちろん、家にそんなものがあるわけはなく、「さすが、学校ってところはすごいなぁ~」と思ったものでした。それだけで、学校の存在意義というか、偉大さや権威が感じられました。

ところが今はどうでしょう。企業の技術革新が進み、いろいろな商品の価格が安くなり、最先端のものが家庭でも簡単に手に入れられるようになりました。むしろ、個人(家)の方が学校より一歩も二歩も先に行っていて、パソコンやビデオ、デジタルカメラなど、「学校で使う機器よりも、家にある方が新しくて高機能だ」という子供たちはいっぱいいます。

また、洗面所やトイレ、建物の照明・空調など、地域や公私の別などで大きく違いますが、学校以外のところの方が「きれい」で「快適」だって部分はたくさんあります。

さらには、電気製品のようなハードに限らず、ソフト面というか、物事の考え方みたいなものまでが、世間から見れば「学校は遅れている」と言わんばかりの論調が賑やかで、何かにつけ、そういった「社会とのズレ」が世間に語られ、印象づけられているようにも思います。

そんな状態で、どうして「学校が一目置かれる存在」になるでしょう。

むしろ、どこかで学校を見下すような(たとえば、すべてを損得勘定で考え、隙あらば文句のひとつでも言ってやろうか、と考えるような)人がしばしば現れるようになったのは、どこかにそういったことが影響しているのではないかと思います。

もちろん、崇高な教育理念の下、いくら校舎がボロボロで、設備や環境が整っていなくても、立派な教育はできると思います。しかし、それは限られた学校であって、ここまで人間社会が物質的な豊かさを味わってしまった今、かなり特殊な状況でなければ、なかなかそういう意識には至りません。

貧しい生活の中、苦学して云々・・・という時代を否定してはいません。教育には、そういった「精神的な部分」が絶対に必要だとは思います。

しかし、もっともっと教育に「心(heart)」と「予算(hard)」をかけて、学校という場がいい意味で「羨望の対象」となるような、最先端の環境をつくってほしいと思います。

決して、「楽(らく)」をするとか、努力しないで「簡単」に済ませるとか、そういった意味の最先端ではありません。心に訴えかけるような、感性を呼び起こさせるような、もっと知識を吸収して、自分を高めたくなるような・・・

そんな誘いを与えてくれるような「最先端」が、学校には必要だと思います。

安居 長敏(やすい ながとし)

滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長
私立高校で20年間教員を務めた後、コミュニティFMを2局設立、同時にパソコンサポート事業を起業。再び学校現場に戻り、21世紀型教育のモデルとなる実践をダイナミックに推進中。

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    (大阪教育大学大学院 教育学研究科 保健体育 修士課程 2年)

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