2010.12.30
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教師は管理職の鏡

横浜市立永田台小学校 校長 ESD横浜代表 住田 昌治

 授業最終日の放課後、職員室で副校長と話をしていた。「やっぱり親子関係が子どもの行動に表れるね。子どもに責任はないよね。子どもは親の鏡とも言うからね。」「そう考えると、教室での教師と子どもの関係も同じだと思うよ。子どもは教師の鏡でもある。教室での先生の指導が子どもに表れるわけだから。学校では、教師と子ども、昔流に言うと師弟関係を築くことが大事だね。」「校長先生。そうすると職員室で考えると、教師は管理職の鏡と言うことになりますよね。校長先生の指導が教師に表れているのですからね。」いや、それは違うとも言えず、「なるほど、結局自分に返ってくるんだねえ。頑張るよ。」ということで話は終わった。

 今まで、大きな仕事をするにしても小さな仕事をするにしても、まず自分が変わらなければ何の進展もないと話してきた。今、取り組まなければならないESDも、世界や社会を変えようといくらもがいてみても一向に変わらない。現在我々が抱えている山積みの課題も、課題があることとその原因を指摘する人はたくさんいるが、明確な解決策を示す人はいない。価値・ライフスタイル・行動の変容は、願うものではなく、地球に住む個々人が自らの価値・ライフスタイル・行動を変えることでしか実現しない。解決策は一人一人の心の中にある。しかし、世界規模の会議にしても、国内の会議にしても持続可能な社会の実現を本当に願っている人がいるのか疑いたくなる。私は、こうしているという人はいない。教育に携わる者として、持続可能な社会の担い手を育てることが使命と考え、「まず自分からの生き方」を伝えていかなければならないと考えている。

 先日玉川大学で行われたESDフォーラムでの一人の学生の質問を紹介する。ESDについて、講師がそれぞれが主張と実践例を発表した後、次のような質問を受けた。「今の小学生や中学生は、環境教育や国際理解教育など受けて育っていくが、受けないで育ってきた我々学生はどうすればいいのか」と言うのだ。教えてもらわなかったから、現在抱えている課題にどう向き合えばいいのか分からないから教えて欲しいと言うのだ。教えてもらわなかった自分たちを誰が導いてくれるのかと言うのだ。この学生が、教えてもらったことがない課題ばかりの社会に出て行けるのだろうか。日本の学生は採用しないという企業が増えてきているという危機感が大学にはないのかもしれない。

 最初のテーマに戻るが、まず自分がやらなければ先に進まないのである。そして、進もうとする中で、人とつながり、自然とつながり、社会とつながっていくのである。この学生たちを小学校で指導したのは私たちだ。「小学校の時はできていたのに」というのは通用しない。小学校で、しっかりした意志を育てられなかったのである。ただ、環境教育でも言われていることだが、小学校の時は主体的に熱心に取組、実績を上げている学校も多い。しかし、それが、中学校、高校、大学と進むにつれて頭から抜けていってしまう。それを知ってる大学の先生方は、危機を叫ぶのだが、内容や方法で解決しようとしてしまうので、結局はがれ落ちてしまう。小学校では、派手に目立ったことをするのではなく、人や自然、ものやこととたくさん出会い、考えたり、ぶつかったりしながら生涯につながるような意志を育む取組が必要なのだと考える。とは言っても一昔前は、そんな先のことまで考えていなかったのが事実である。様々な課題をバラバラに捉えていたからだと思う。実は全てつながっている。きっと、授業を注意深く見て、気づきがあれば、子どもたちがその答えを教えてくれる。また、その頃は教育改革に追われ、教育課程の改善に精力を使い果たしていたように思う。もう、その繰り返しをしていてはならない。新指導要領完全実施のこの年に、管理職が、きちんと持続可能な社会の姿を描き、教職員に伝え、子どもたちに向かわせなければならない。「子どもは教師の鏡」そして、「教師は管理職の鏡」だから。

 次回は、ESDフォーラムでの提案の骨子を掲載する。

住田 昌治(すみだ まさはる)

横浜市立永田台小学校 校長 ESD横浜代表
学校の持続可能性を求めて、日々挑戦しています。これから日本版ESDスクールのデザインを描き、実現していきます。皆さん一緒に考えていきましょう。

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