私事で恐縮だが、理学療法士をめざしていた娘が病院での2ヶ月の実践研修を終え、家に帰ってくるのを迎えに行った時のこと。ふだんからよく話をしてくれる娘ではあるが、久しぶりに《大人な話》を、自分の方からしはじめた。
「研修がこんなに楽しかったのは初めてやわ」
「土曜日は病院が休みなんやけど、自分から行きたいって言って、勉強に行ってきたし」
えらく前向きやなぁ~
「この研修の最初、3週間は、自分は宙に浮いていたと思う」
どうやら、教科書に載っている知識だけでは、実際の現場に対応しきれず、意欲が空回りして、自信をなくしていたらしい。
こんな自分ではダメだ、何とかしなくちゃと思えば思うほど失敗を恐れていく・・・。そして、どんどん内に閉じこもり、自分を開かなくなっていったというのだ。
「でもな、それをピタリと言い当てたのは先生やねん」
「今がおまえの変わり時や。実際にやってみて学ぶしかないやろ、って」
どちらかと言えば完璧をめざすタイプの娘で、一か八かやってみるということがなかなかできにくい性格だ。しかし、そうしてばかりいては進歩がないことを、先生は見抜き、変容を迫って下さったようだ。
今回指導して下さった先生は、かなりの名医らしく、先生目当てに治療にくる患者さんがたくさんいるのだとか。患者思いで、治療技術も折り紙付き。その先生にかかると、確実に痛みが取れるらしい。
そんな先生に対し、当然、患者さんは全幅の信頼を置き、感謝をする。自分の一番してほしい「痛みを取ってくれる」ことを、確実にやってくれる。たとえそれが少々手荒くても、何時間待っても、結果が出ればいいのだ。
「おまえが自分を開かんかったら、教えたくても教えられん」
「失敗を怖がって、できる範囲のことだけしかしなかったら、成長はないから」
「そのためには、今できない自分がそれをできるようになっていく・・・。だから勉強するんや、一生懸命学ぶしか、抜け出す道はないんや」
その先生の下で研修しているからなのか、「治療する」ということの意味を身をもって学ぶことができ、自分に対しても、すごく《前向き》になれたという。
今回の研修で、自分は確実に変わったと言い切る。
「先生もいい人やったし、こんなに指導した生徒はおまえが初めてや、って言ってくれた」
「症例研究もカンファレンスも、他の先生やったらここまでできんかったと思うわ」
一流の先生に教えてもらえたことが、いかによかったか・・・。勉強に対し、こんなに嬉しそうに話す娘を見たのは、ずいぶん久しぶりだ。
「私が治療して、痛みが治まった人がたくさんいるねん」
「でもな、先生が治療すると、もっと楽になるんやって」
目をキラキラ輝かせて、先生の魅力を話し続ける・・・
「私はまだ足らんねん。だから、もっと勉強せなあかんねん」
「理学療法士って、患者さんを治さんと意味がないねん」
「どんなに大変で難しくても、それができるようにならんとあかんと思う」
「私、まだ、肩の治療がうまくいかんねん」
「友達に、肩を専門にしてる病院で研修してる子がいるし、教えてもらうわ」
どこでどう変わったのか、まるで自分の娘ではないような、《優等生》で《大人》なことを言う姿に、正直驚いた。
「自分ができないからって、患者さんに向かうことをためらったらあかん」
「できない自分を認め、自分を開いて、正直に接していく方がいいねん」
「そうしたら、患者さんだってわかってくれるし、私の腕も上がっていくねん」
できない自分、自信のない自分をさらけ出さないと前に進まないことを、身をもって教えてくれた先生はスゴイと思う。
振り返って、自分はどうか・・・。目の前の子どもたちに、そこまでの変容を迫れているだろうか。
もっと厳しく、もっとやさしく、プロとして恥じない姿で接していかなくてはと改めて思った。
「研修がこんなに楽しかったのは初めてやわ」
「土曜日は病院が休みなんやけど、自分から行きたいって言って、勉強に行ってきたし」
えらく前向きやなぁ~
「この研修の最初、3週間は、自分は宙に浮いていたと思う」
どうやら、教科書に載っている知識だけでは、実際の現場に対応しきれず、意欲が空回りして、自信をなくしていたらしい。
こんな自分ではダメだ、何とかしなくちゃと思えば思うほど失敗を恐れていく・・・。そして、どんどん内に閉じこもり、自分を開かなくなっていったというのだ。
「でもな、それをピタリと言い当てたのは先生やねん」
「今がおまえの変わり時や。実際にやってみて学ぶしかないやろ、って」
どちらかと言えば完璧をめざすタイプの娘で、一か八かやってみるということがなかなかできにくい性格だ。しかし、そうしてばかりいては進歩がないことを、先生は見抜き、変容を迫って下さったようだ。
今回指導して下さった先生は、かなりの名医らしく、先生目当てに治療にくる患者さんがたくさんいるのだとか。患者思いで、治療技術も折り紙付き。その先生にかかると、確実に痛みが取れるらしい。
そんな先生に対し、当然、患者さんは全幅の信頼を置き、感謝をする。自分の一番してほしい「痛みを取ってくれる」ことを、確実にやってくれる。たとえそれが少々手荒くても、何時間待っても、結果が出ればいいのだ。
「おまえが自分を開かんかったら、教えたくても教えられん」
「失敗を怖がって、できる範囲のことだけしかしなかったら、成長はないから」
「そのためには、今できない自分がそれをできるようになっていく・・・。だから勉強するんや、一生懸命学ぶしか、抜け出す道はないんや」
その先生の下で研修しているからなのか、「治療する」ということの意味を身をもって学ぶことができ、自分に対しても、すごく《前向き》になれたという。
今回の研修で、自分は確実に変わったと言い切る。
「先生もいい人やったし、こんなに指導した生徒はおまえが初めてや、って言ってくれた」
「症例研究もカンファレンスも、他の先生やったらここまでできんかったと思うわ」
一流の先生に教えてもらえたことが、いかによかったか・・・。勉強に対し、こんなに嬉しそうに話す娘を見たのは、ずいぶん久しぶりだ。
「私が治療して、痛みが治まった人がたくさんいるねん」
「でもな、先生が治療すると、もっと楽になるんやって」
目をキラキラ輝かせて、先生の魅力を話し続ける・・・
「私はまだ足らんねん。だから、もっと勉強せなあかんねん」
「理学療法士って、患者さんを治さんと意味がないねん」
「どんなに大変で難しくても、それができるようにならんとあかんと思う」
「私、まだ、肩の治療がうまくいかんねん」
「友達に、肩を専門にしてる病院で研修してる子がいるし、教えてもらうわ」
どこでどう変わったのか、まるで自分の娘ではないような、《優等生》で《大人》なことを言う姿に、正直驚いた。
「自分ができないからって、患者さんに向かうことをためらったらあかん」
「できない自分を認め、自分を開いて、正直に接していく方がいいねん」
「そうしたら、患者さんだってわかってくれるし、私の腕も上がっていくねん」
できない自分、自信のない自分をさらけ出さないと前に進まないことを、身をもって教えてくれた先生はスゴイと思う。
振り返って、自分はどうか・・・。目の前の子どもたちに、そこまでの変容を迫れているだろうか。
もっと厳しく、もっとやさしく、プロとして恥じない姿で接していかなくてはと改めて思った。

安居 長敏(やすい ながとし)
滋賀学園中学高等学校 校長・学校法人滋賀学園 理事・法人本部事務局 総合企画部長
私立高校で20年間教員を務めた後、コミュニティFMを2局設立、同時にパソコンサポート事業を起業。再び学校現場に戻り、21世紀型教育のモデルとなる実践をダイナミックに推進中。
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