2010.11.23
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?30年越しの夢叶う?(恩師その2)

厚沢部町立厚沢部小学校 教頭 久慈 学

 今回は、自身が中学生の時の恩師の話です。ちょっと雰囲気を変えて「ですます」調で書きます。
 この度の話もやはり4月の異動がきっかけです。異動して早々はがきが一枚封筒に入って届きました。はがきの内容は「昇任おめでとう」というものでしたが、差出人は、中学校時代の社会科と卓球部の顧問のY先生でした。
 Y先生は当時30才前半で、私が中学校に入学と同時に転入されました。部活動を何にするか悩んでいた私は、そのY先生が卓球の名選手であることを知ると迷わずに入部しました。
 Y先生は、噂通りの名選手であり、生徒と共に汗を流してくれました。そして、赴任して2年目に先輩を全道大会に導いてくれました。自分も、
「来年は全道大会に行くぞ!」
と、心に誓って練習に励んでいましたが、わずか2年の在籍で突然先生は転勤になりました。クラスのある女子が、
「あら、久慈知らないの? Y先生転勤するんだよ。」
とさらっと私に知らせたのです。晴天の霹靂とはこのことで、机に突っ伏してひたすら悲しみにくれていた私を、掃除当番の級友が机と椅子ごと私の体を教室の後方まで運んでくれたことを覚えています。
 そんなY先生との思い出で、ずーっと覚えていたことがあります。何の話がきっかけかは忘れましたが、学校帰り同じ卓球部の友だちとY先生の自動車に乗せてもらっていた車内での話です。Y先生は、
「あー、学校の先生なんてやめて、トラックの運転手になりてえなあ。でっかいトラック運転して走りまわるんだぞ。気持いいべー。」
Y先生に先生をやめられると困るなあ、と思いましたが、その時中学生の私は、
「いつも元気で笑顔の先生も、いろいろ大変なんだなあ」
くらいに思っていました。
 先生は3月のある日、でっかい引越しのトラックといっしょに遠くの町(北海道の遠くとは、本当に遠いいのですよ)へ転勤していきました。
 月日は流れます。
 
 そしてこの度、はがきを頂いたので御礼の電話をしました。先生は結局定年まで勤め上げ、それも大きな札幌近郊の小学校校長先生として教師生活を終えたことを知りました。
「先生、お変わりないですか?」
「あー、元気でやってるんだわ。仕事終わってから、一年ゆっくり休んでね。そしてあれ、大型の免許とったんだわ。」
「? 大型の免許ですか?」
「そう、大型。そしてあれ、幼稚園バスの運転手やってるんだわ。」
「!!! え? 幼稚園バスの運転手ですか? すごいですね。」
自分でも「すごい」の意味がちょっと不明でしたが・・・。
「なんもなんも、朝ちょっと送って、昼過ぎまで休んで、そしてまた夕方。楽なもんだ!」

 私は、29年前、Y先生が「トラックの運転手になりたい」と言っていたのを思い出し、思わず口にしそうになりました。が、これは次の再会の時のとっておきの話として胸にしまいこみました。(Y先生はきっと覚えていないだろう)
 今は校長を退職すると、その後何年かいろいろなポストがあって働けるわけですが、スパッとやめて夢を叶えようと(本人がそう思っているのかどうかは別にして)大型の免許をとったY先生が前にも増して大好きになりました。
 そして、約30年越しの夢――と勝手に私が思っている――を叶えてあの笑顔で嬉しそうに、でっかいハンドルを握る先生の姿を電話越しに想像して、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。(実際に職員室の同僚に話してしまいました)
 私はまだまだ、この教職の道で生きて行くのですが、それでもやっぱり「夢」は持ち続けて行きたいと思います。
(写真は一年生がバケツの水を運んでいると、すっと手助けした4年生です。普段デジカメを持ち歩いていると、時々こんな嬉しいシーンと出会います)
IMG_0931-2.jpg

久慈 学(くじ まなぶ)

厚沢部町立厚沢部小学校 教頭
北海道で小学校教員、今年は教頭職三年目。ニューデリー日本人学校での経験を生かし、片田舎から世界を、世界から片田舎を見つめつつ発信したいと思います。

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