10月下旬から3週間、県内の国立大学教育学部の教育実習生を受け入れました。
事前に打ち合わせをもちましたが、まだ大学3年生。現場での教育実習は、9月に附属中学校で4週間、その後、今回の公立の小学校での3週間だけで、大学4年時にはないとのことでした。
その事実を聞いて、正直、現在の多様で多難な教育界に船出するのに、これで大丈夫かという思いがありました。教育実習生が来るまで、どのようなスタンスで受け入れるかを考えていました。それは、大きく2つのスタンスが考えられました。
その一つは、自学級の学級運営に支障のない程度に、担任として「表の仕事だけ」をしてもらうということです。つまり、とりあえず、授業だけをやってもらい、研究授業をうまくこなし、いい印象を持って終わらせ、教師という職業に期待感を膨らませてもらうものです。まだ、二十歳の若者ですから、大いに夢や希望を与えるというスタンスです。
もう一つは、教育現場の現状をつぶさに見てもらい、「裏の仕事も体験」してもらうということです。つまり、担任として、子どもがいない時にしている仕事も見てもらい、子どもを育てるという視点で、子どもに関わる全ての仕事をしてもらうということです。子どもと遊ぶ時間もなく、トラブルの連続であるという小学校現場の全面に立たせ、教師という職業の厳しさを味わってもらい、その上で自分の生き方(進路)を考えてもらうというスタンスです。
果たして、私はどちらを選んだでしょうか。
私は、後者を選択しました。あと1年半もすると、同じ教育現場の前面に立たなければならない教師の卵に、現状を体験してもらい、残された時間で自己の課題を持って勉強してほしいと考えたからでした。
3週間の教育実習プログラムは、1週目は小学校教育を見てもらえるように全学年学級の授業参観、2週目は担任する学級の学級参観と児童理解、3週目は担任学級の全日経営と研究授業としました。実習生は、授業参観では自分なりの考えや主張を日誌に書いていましたが、実際に授業をすることでその考えの甘さや力のなさを感じたようでした。他を批評するのは易しいが、自分でやることの難しさを体験することで、教育や現場の有り様を体感することになりました。
私は担当教諭として、全日経営(一日中、担任として学級経営に当たる)をしてもらった日(4日間)に1時間毎の指導とともに、一日を総括するコメントA4で3枚書いて渡しました。その一部分を紹介します。
担任であるということは、一日の全責任を負わなければならない。しかし、「全責任」を重くとらえすぎてしまうと、前へ進めなくなってしまう。そこで、指導計画(案)を立てて臨むわけである。しかし、それは案であるので、子どもを前に計画通りに子どもが発言し、動くわけではない。子どもは、多様な発言や行動をするのが当たり前だということを前提とすることが重要である。だから、引き出しを多く持ち、様々なツールを身につけ、その瞬間の子どもと子ども達に対応した指導をすることが求められる。子どもの言動には、子どもの本質が表れているものがある。それをみとり、指導に活かしていくと、授業が生き生きとしたものになり、子どもが授業を進めてくれることになる。そうした理想をイメージしながら、授業を進めていくといい。全日経営は、とてつもなく大変だと思う。しかし、冷静に振り返ると、自分自身が一番成長しているのではないだろうか。そう信じて、明日につないでほしい。 (全日1日目)
「教師の仕事は授業」というとらえ方だと危うい。授業は、子どもを育てる手段の一つに過ぎない。もちろん中心ではあるが。その表の仕事をするだけでは、教師としての仕事をしたことにならない。授業を支えるものとしてよく言われる「興味・関心・意欲」とともに、「元氣、やる氣、勇氣」などの『氣』を発揮したくなるようにするが、『生きる力』につながるのである。教育の「技術」は教育の上っ面にすぎない。教育の「根本・本質・原点」を常に意識する高度な教師を目指したい。 (全日2日目)
今日は、教師としての大きな成長が見られた。一つ目は、研究授業(写真 上)の様子からである。二つ目は、授業における生徒指導にも氣を配れるようになったことである。短期間で、大きく成長したと思う。残された課題で大きなものは、「子ども同士をつなぐ授業」である。結局、子どもは自分の世界で生きていくので、子ども同士の関わり方を授業の中で教えられると、自己理解と他者理解を促進することになるからである。このことに氣づいている教師は少なく、子どもが成長できない大きな原因ともなっている。また、授業は事前準備が9割と言うことができる。教材研究だけでなく、素材研究や指導法研究が十分であれば、子どもがどのような反応をしたとしても、トラブルが起ころうとも、ねらいを達成するための授業ができるのである。そして、授業のねらいを達成できればいいのではなく、「教育の目的」を達成するための教育課程と学級経営を構想することが、教師には求められる。まだ、教師の卵であるが、今のうちからこれらのことに注目して学んでいけるとよいと思う。 (全日3日目)
小学校教育と小学校2年生というものの実態を、体験的に感じたことであろう。本や机上の学問では学べないものがたくさんあったことと思う。これが教育現場なのである。個としても、集団としても「生き物」なのである。それぞれに個性を持っているので、そのよさを伸ばし、よりよき方向づけをするために、教師は「教育の根本・本質・原点」を忘れず、哲学と技術を持って教育実践を行うのである。「学び続ける者のみ、教えることができる」と言われるとおり、いつ・どこでは、何であっても、この言葉は通じるものと考えている。最終日が美しく終わるというより、次に向けての課題を持って終わる方が、これからの教師人生に向けてはよかったと思っている。その課題をどうとらえ、どうしていくかを楽しみに待つことにする。いつの日か、同僚となることがあったら幸いである。
(全日4日目=最終日)
1年半後に、この教師の卵が大きく成熟し、教師としての第一歩を踏み出すことを願いながら、子ども達と感動の「お別れ会」(写真 下)をして送り出しました。
事前に打ち合わせをもちましたが、まだ大学3年生。現場での教育実習は、9月に附属中学校で4週間、その後、今回の公立の小学校での3週間だけで、大学4年時にはないとのことでした。
その事実を聞いて、正直、現在の多様で多難な教育界に船出するのに、これで大丈夫かという思いがありました。教育実習生が来るまで、どのようなスタンスで受け入れるかを考えていました。それは、大きく2つのスタンスが考えられました。
その一つは、自学級の学級運営に支障のない程度に、担任として「表の仕事だけ」をしてもらうということです。つまり、とりあえず、授業だけをやってもらい、研究授業をうまくこなし、いい印象を持って終わらせ、教師という職業に期待感を膨らませてもらうものです。まだ、二十歳の若者ですから、大いに夢や希望を与えるというスタンスです。
もう一つは、教育現場の現状をつぶさに見てもらい、「裏の仕事も体験」してもらうということです。つまり、担任として、子どもがいない時にしている仕事も見てもらい、子どもを育てるという視点で、子どもに関わる全ての仕事をしてもらうということです。子どもと遊ぶ時間もなく、トラブルの連続であるという小学校現場の全面に立たせ、教師という職業の厳しさを味わってもらい、その上で自分の生き方(進路)を考えてもらうというスタンスです。
果たして、私はどちらを選んだでしょうか。
私は、後者を選択しました。あと1年半もすると、同じ教育現場の前面に立たなければならない教師の卵に、現状を体験してもらい、残された時間で自己の課題を持って勉強してほしいと考えたからでした。
3週間の教育実習プログラムは、1週目は小学校教育を見てもらえるように全学年学級の授業参観、2週目は担任する学級の学級参観と児童理解、3週目は担任学級の全日経営と研究授業としました。実習生は、授業参観では自分なりの考えや主張を日誌に書いていましたが、実際に授業をすることでその考えの甘さや力のなさを感じたようでした。他を批評するのは易しいが、自分でやることの難しさを体験することで、教育や現場の有り様を体感することになりました。
私は担当教諭として、全日経営(一日中、担任として学級経営に当たる)をしてもらった日(4日間)に1時間毎の指導とともに、一日を総括するコメントA4で3枚書いて渡しました。その一部分を紹介します。
担任であるということは、一日の全責任を負わなければならない。しかし、「全責任」を重くとらえすぎてしまうと、前へ進めなくなってしまう。そこで、指導計画(案)を立てて臨むわけである。しかし、それは案であるので、子どもを前に計画通りに子どもが発言し、動くわけではない。子どもは、多様な発言や行動をするのが当たり前だということを前提とすることが重要である。だから、引き出しを多く持ち、様々なツールを身につけ、その瞬間の子どもと子ども達に対応した指導をすることが求められる。子どもの言動には、子どもの本質が表れているものがある。それをみとり、指導に活かしていくと、授業が生き生きとしたものになり、子どもが授業を進めてくれることになる。そうした理想をイメージしながら、授業を進めていくといい。全日経営は、とてつもなく大変だと思う。しかし、冷静に振り返ると、自分自身が一番成長しているのではないだろうか。そう信じて、明日につないでほしい。 (全日1日目)
「教師の仕事は授業」というとらえ方だと危うい。授業は、子どもを育てる手段の一つに過ぎない。もちろん中心ではあるが。その表の仕事をするだけでは、教師としての仕事をしたことにならない。授業を支えるものとしてよく言われる「興味・関心・意欲」とともに、「元氣、やる氣、勇氣」などの『氣』を発揮したくなるようにするが、『生きる力』につながるのである。教育の「技術」は教育の上っ面にすぎない。教育の「根本・本質・原点」を常に意識する高度な教師を目指したい。 (全日2日目)
今日は、教師としての大きな成長が見られた。一つ目は、研究授業(写真 上)の様子からである。二つ目は、授業における生徒指導にも氣を配れるようになったことである。短期間で、大きく成長したと思う。残された課題で大きなものは、「子ども同士をつなぐ授業」である。結局、子どもは自分の世界で生きていくので、子ども同士の関わり方を授業の中で教えられると、自己理解と他者理解を促進することになるからである。このことに氣づいている教師は少なく、子どもが成長できない大きな原因ともなっている。また、授業は事前準備が9割と言うことができる。教材研究だけでなく、素材研究や指導法研究が十分であれば、子どもがどのような反応をしたとしても、トラブルが起ころうとも、ねらいを達成するための授業ができるのである。そして、授業のねらいを達成できればいいのではなく、「教育の目的」を達成するための教育課程と学級経営を構想することが、教師には求められる。まだ、教師の卵であるが、今のうちからこれらのことに注目して学んでいけるとよいと思う。 (全日3日目)
小学校教育と小学校2年生というものの実態を、体験的に感じたことであろう。本や机上の学問では学べないものがたくさんあったことと思う。これが教育現場なのである。個としても、集団としても「生き物」なのである。それぞれに個性を持っているので、そのよさを伸ばし、よりよき方向づけをするために、教師は「教育の根本・本質・原点」を忘れず、哲学と技術を持って教育実践を行うのである。「学び続ける者のみ、教えることができる」と言われるとおり、いつ・どこでは、何であっても、この言葉は通じるものと考えている。最終日が美しく終わるというより、次に向けての課題を持って終わる方が、これからの教師人生に向けてはよかったと思っている。その課題をどうとらえ、どうしていくかを楽しみに待つことにする。いつの日か、同僚となることがあったら幸いである。
(全日4日目=最終日)
1年半後に、この教師の卵が大きく成熟し、教師としての第一歩を踏み出すことを願いながら、子ども達と感動の「お別れ会」(写真 下)をして送り出しました。
大谷 雅昭(おおたに まさあき)
群馬県藤岡市立鬼石小学校 教諭
子どもと子どもたち、つまり個と集団を相乗効果で育てる独自の「まるごと教育」を進化させると共に、「教育の高速化運動」を推進しています。子ども自身が成長を実感し、自ら伸びていく様子もつれづれに綴っていきます。
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