2010.11.26
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「本当にわかった」と言える授業を目指して(1)

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭 北川 誠

私たち教師は子どもたちが「本当にわかった」という授業を目指そうと日夜努力をしています。(いるつもりです。)
 しかし学習者が「本当にわかった」という状態というのはどういうものなのでしょう。この観点から改めて振り返ってみるとこれまで自分がしてきた授業はどうだったのでしょうか。

 実はそれは「わかった」というよりは,「おぼえた」という段階でとどまっていたのではないかということを考えることがあります。

 普通「おぼえる」というのは学習者が「知らない」という状態にあるときに,何度も自分で繰り返したり,他人からいろいろ言われたりしながら、いわゆる「覚える」ということであると考えます。

 例えば,教科書に書いてあることを繰り返し読みながら,書いてあることを「おぼえる」ということです。しかし、人間の記憶はそのまま放っておくと自然に忘れるもので、ついには完全に忘れた状態になり,はじめの知らない状態と本質的には変わらなくなります。授業をしてからしばらくおいてテストをして、「なんでこんな問題ができていないんだろう」というのがそれに当たると思います。

 それに対し「わかる」というのは,おぼえたことを忘れることのない状態であると考えます。すなわち、一度わかったことは、長期記憶に残るということです。例えば,火が熱いということは、一度わかってしまえば、もはや知らない状態に戻ることはありません。

 実はこんな基本的な問いかけをしたのは来年度から完全実施される新学習指導要領の理科の目標に「実感を伴った理解」という文言が加わったことを考えたからです。

  それでは,子どもがわかる授業(実感を伴った理解)を目指すには,どのようにしたらよいのでしょうか。このことを反省して実践したことについては次の掲載で……。
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北川 誠(きたがわ まこと)

埼玉県朝霞市立朝霞第十小学校 教諭
「駄洒落」を立派な日本の文化・言葉の見立てと考え、子どもたちからは「先生 寒~い」と言われてもめげず連発してます。モットーは「花には水を人にはユーモアを」。

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